発信する際の「恥ずかしさ」との向き合い方

発信する際の「恥ずかしい。」について考えていることを書いていきます。


これだけボロボロでも恥ずかしさよりも荘厳さがあるのかも。


カリスマを夢見なくはないけど


「ブログをはじめちゃったらカリスマになれるかもなぁ。」といったことや、

「YouTubeをやりだしたらカリスマ性が隠しきれないだろうなぁ。。。」などといったタフな考え方を持っているひとも世の中にはいたりはするのでしょう。

とはいっても、そんな妄想をするのではなく「発信するのは恥ずかしい。。。」といったことを考える方も少なくないかもしれません。

「ネットでも発信をしたいけど恥ずかしさがなぁ。」と。

それこそ「思い切ってはじめたけど、PVやチャンネル登録者数が伸びなくて恥ずかしい。」などと感じることもあるかもしれません。

そのようなことを考え始めると「やっぱりネットにじぶんを出すのはやめておこう。」と思ってしまいますよね。

たしかに「カリスマを目指す。」などということを考えなくても、

「あぁ、なんだか発信するのは恥ずかしいなぁ。こそばゆいなぁ。」ということを発信していても感じたりするものです。



イケてないと思ってもらうくらいの力で発信する


発信をする際には、恥ずかしさとともに「更新頻度。」にも悩まれることがあったりするかもしれません。

「不定期に発信すればボロはでないけど、頻繁に発信するとボロが出て恥ずかしい思いをするかも。」などと。。。

たしかにブログを毎日書いていると、

「これを書くのは恥ずかしいかも。」といったことや「イケてないかもなぁ。」などと感じたりもするものです。

それこそ、イケてない感を出すくらいだったら、

「まずはフェラーリに乗ることから始めなければ一流の経営者になれないよ。」などと、イケてる感を出すような戦略で発信をするほうが、

「このひとイケてるわぁ。まぢでついていきたい。」と感じてもらえるのかもしれません。。。

そして、心からそう感じているのであればそのような発信をするのもありだと思います。

とはいっても、じぶんを偽ってまで「イケてる感。」を出して発信する必要もないでしょう。

「カリスマを目指す」というよりは「依頼を考えているひとに対するギャップを埋めたい。」

と考えて発信するのであれば「じぶんの本心。」を出す姿勢も必要だといえます。

なんなら「このひとはカリスマ性はないけど信頼はできそうだよなぁ。」くらいに感じて貰えればそれでいいんじゃないかなぁと。


更新頻度を上げると「恥ずかしさ」も克服できる


「発信することに恥ずかしさの壁を感じる。」

というのであれば「発信の頻度を上げる。」ということも効果的だといえるかもしれません。

たしかに「発信の頻度をむやみに上げすぎない。」というのも戦略のひとつだといえるでしょう。

たとえば、このブログの更新頻度を下げて「資金調達関連の記事やHPの税金関連の記事だけを書く。」

としていれば、内面的なことを書かなくても乗り切れるので「恥ずかしさを感じなくなる。」といえるかもしれません。

ただ、発信の頻度が低いと結局は恥ずかしさも抜け切れないんじゃないかなぁと。

週イチ更新のYouTubeと毎日更新のこのブログの場合だと「YouTubeの方に恥ずかしさがある。」といえます。

なぜかといえば、発信頻度が週イチだから「久しぶり感。」を覚えてしまうからです。

それが毎日更新のブログの場合にはたとえ内面的なことを書いたとしても、

「これもじぶんの一部だからなぁ。」とじぶん自身への納得感も強くなるといえます。

なので「発信に恥ずかしさがあって。。。」と感じてしまうのであれば、

「ひとまずは毎日更新してみる。」というのがひとつの手なのかもしれません。

発信を毎日の習慣にすると「発信しないほうが恥ずかしい。」と感じるかもしれませんし、

「恥ずかしい。」のさじ加減もつかめてくるものかもしれませんから。


まとめ


発信における恥ずかしさは頻度で超えられるかなぁと。


【おわりに】

『Parmalee』というカントリー系のバンドのこの曲を聴いて「恥ずかしさ。」を癒やしてみたりも。。。

Parmalee – Take My Name (Visualizer)


【一日一新】

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