「合わない。」ということを感じるのであれば、その合わない状態を喜んでみてもいいのかなぁと。
合わない寂しさ
「みんなと仲良くしよう。」
「友達100人できるかな。」
などというように「誰とでも仲良くできることが望ましい。」という考え方が多数派だといえるかもしれません。
たしかに「じぶんの考えを誰にも理解してもらえない。」ということは寂しいものだったりするでしょう。
「誰とも合わないのか。。。」と。
だからか「空気を読んでなるべくひとと合わせる。」といったことや、
「はみ出さない。」という考えは人生の処世術として必要なことだといえるのかもしれません。
ただ、独立しているのであれば「合わない。」ということは楽しんでいいんじゃないかと。
合わないことは嬉しいこと
独立して事業を行っているなかで毎日ブログを更新していると、
「暇なの。仕事がないの。。。」と言われる場面もあるといえます。
たしかに「毎日2時間程度の時間を使ってブログを書いている。」というのは、フツーなことではないのでしょう。
むしろ「そんなことをやる時間があるなら仕事をしなよ。。。」と感じてしまうのが一般的な考え方のかもしれません。
とはいっても「じぶんが何を価値とするのか。」
というのはじぶんで決めればいいことですし、万人と合わせる必要もないでしょう。
独立という状態を維持したいのであれば「誰とでも合う。」ということを意識する必要もないかなぁと。
「合わないからこそ独立し、合わないからこそ仕事の依頼も来る。」ということもあるものです。
「毎日ブログ(なんて)を書いて。。。」など感じるひととは合わなくても、
「仕事をしているなかで毎日更新するなんてやるじゃん。」と話してくれるひととは合うと考えていけばいいんです。
合わない人が多くいるほど、じぶんと合う人に出会ったときの喜びといったら万感の思いがあるといえます。
合わないを誇っていこう
人生のハイライトのひとつである独立。
この「独立して事業を営み生活をしている。」というのも世の中からすれば少数派だといえます。
また「独立したのに拡大だけ目指すことを是としない。」というのも少数派なことでしょう。
だからか「合うひとよりも合わないひと。」の方が多くなるともいえます。
とはいっても、合わないひとが多くてもいいじゃないですかと。
- 電話が嫌い
- そもそも電話に出ない
- FAXの要請はすべて無視
- 民間保険に入る必要性をほとんど感じない
- 節税だけに興味があるひとに興味がない
- 様々なことに対して意見を言いたくなるから交渉は好き
- ひとと話すのは好きだけど、仕事の手間を増やしたくないからひとり事業
- 世間体などという言葉は使わない
- もう若くないからと言うひとは嫌い
- いままでのやり方を変えてでも使いたいガジェットは使う
- YouTubeの言い間違いは気にしない
- 音楽は洋楽しか聴かない
- メタル好きを見つけるとそれだけで親近感が湧く
などということを隠したとしても、時間が経つにつれて出てきてしまうものです。
なので「じぶんを出しながら合うひとと繋がっていければいい。」と考えればいいでしょう。
「合わないことが多いと心置きなく生きていける。」ということもあるよなぁと。
まとめ
「合わない。」ということを喜んでいきましょう。
【おわりに】
久々にロックTシャツを売っている店を見つけてテンションがあがりました。
ただ、商売的には厳しいんだろうなぁと。。。
【一日一新(昨日、人生で初めて体験したことを書いています)】
つけ麺TETSUで特盛(もうホントに大盛りや特盛はやめよう。。。)