読書をしないとこんな怖さを感じるといったお話を。。。
「じぶんってすごい」が怖い
「じぶんって凄いっしょ。。。」などと直接的に言ってくるひとが苦手だったりするといえます。
そんな「じぶんって凄いでしょ。」となってしまう確率が読書をしていないと高まる感を持っているといえるのです。
「こんなことを知っていて凄いでしょ。」
「こんなことをやっていて凄いでしょ。」
「こんな生活を送っていて凄いでしょ。」といったような。
それが読書を習慣化していると、
「これを考えたのはじぶんではなく、遥か昔にロジックとして確立されていたのかぁ。」と打ちひしがれるシーンも少なくないといえるのです。
「相変わらずの大前節に視界が晴れる。」などと大前研一さんなどの書籍を読んでは「まだまだ、がんばろ。。。」とじぶんってすごくない感を味わえるなどと。
「まだまだ、これから。。。」と考えられたほうが、
ひとの意見も吸収しやすくなるものですし、上がいることにわくわくしてくる良さが読書にはあるといえます。
「文章が読めない」が怖い
フォトリーディングのセミナーを受けた際には、
「いやいや、これは詐欺的な感じでしょ。。。」などと、読めていない感を味わったものでした。
また「Netflixって最高に面白いよなぁ。」と読む必要がなく、観ているだけで引き込まれる世界に魅了されているともいえます。
とはいっても「文章が読めない。」となってしまうと、人生で触れられる情報量がかなり異なってくるものです。
それこそ「専門家としては致命的。」となってしまうものでしょう。
などという「文章が読めない。」にはかなりの怖さを持ってしまうといえます。
「最近、全然本を読んでいないや。。。」というのは、何の知識や知恵を得ていない怖さを感じるのです。
それが読書をすると「文章を読んでいる。」といった心地よさや自信を得られたりする感覚があるといえます。
「あぁ、この原典はあの本にあるわぁ。」といったような。
さらには、文章が読めるようになると、
「SNSの世界はファンタジーだし。」といったようにそれほど大きなリアクションを取ることなく、落ち着いた生活も送れるようになったりもするものです。
「おもしろい作品に出会えない」が怖い
「あぁ、この作品に出会えてよかった。」ということを読書をしていると定期的に感じるものです。
「ぼかして書いているけど、結果かなりのリーダーシップ不足が原因なんじゃないの。。。」とも感じた「ユニクロ」という本もユニクロの歴史を感じられて心地よかったものです。
また「ぼくもひとを観察する方だけど、高橋さんはもっと。。。」などとRehacQを主催している高橋弘樹さんの書籍にも感じたといえます。
さらには、第三部が待ち遠しい成瀬シリーズの第二部もおもしろかったものです。
などというような世界は、読書をしないと出会えないといえるでしょう。
それこそ「ドラマよりも書籍の方がおもしろかった。。。」というのは、小説を映像化すると感じたりもするものです。
小説には映像がないにも関わらず、深く作品と向き合っているからなのか感じるこの感覚は不思議なものだといえます。
ましてや、書籍はどんな姿勢でも途中で読むことをやめてもいいのでじぶんのペースでおもしろい作品に出会えるよさがたまらないといえるのです。
まとめ
「読書をしない」ということには、怖さを感じるものです。
【おわりに】
日曜日から静岡県下田市に行っていました。
大室山という山頂を一周できるところに行ったら、リフトが運休していていたというハプニングも。。。
【一日一新】