「暗記しなければならない。」
という場からは早めに逃げていくべきかなぁと。
子供に「勉強しろ」と本気で言えない
「勉強はしておいたほうがいいよ。」
ということをじぶんの娘に言うことはあります。
ただ、本心では「学校で学ぶ勉強を絶対にしておいたほうがいい。」と思えないんだよなぁと。
なぜ「勉強をしたほうがいい。」ということを本気で言えないのかといえば、
「勉強 = 暗記。」
ということにそれほど賛同できないからです。
また、いまやスマホで多くのことが調べられるのに「紙の教科書や黒板を写すという行為。」
「わざわざ授業を受けに学校に行かなければならないという行為。」なども、
「もう少しいまの時代に合わせた対応ができないものか。」と考えてしまうこともあります。
どれだけ暗記をしてもGoogleには敵わないのは明らかなのに、
「勉強とは暗記をすることだ。」という環境を目にしていると、なんだかなぁと。
なので「勉強はしておいたほうがいいけど、学校でやる暗記の勉強はあまり役に立たないよ。」
ということを伝えるようにしています。
暗記でしか通用しない場からは逃げよう
「税理士として独立し食べていけている。」
という状態になれたのは、税理士試験という暗記の場を活用したからだといえます。
なので「暗記をする。」という行為を完全に否定しているわけではありません。
「税法や会計の仕組み。」というものを理解できているのは、暗記をしてきたからだといえますし、
「暗記をしてきたからどこを確認すればいいのか理解できる。」ということも感じています。
とはいっても、暗記をしているだけだと実社会にいるGoogleなどの強敵には敵わないので、
「暗記をしなければならない場。」からは早めに逃げていくべきです。
税理士試験なども長丁場になるもののひとつですが、
「暗記をしなければ解決しない場。」というのは、世の中としては異例な場所だといえます。
だからこそ「暗記をしなければならない場にいる時間。」は短くしたほうがいいでしょう。
ひとに言われたことも無視していこう
「暗記をする。」ということから逃げるとともに、
「ひとから何かを言われる。」ということからも逃げていきましょう。
経済が発展すればするほど価値観も多様化していくので、ほとんどのことにもう正解は存在しないといえるかもしれません。
にもかかわらず「暗記をすれば正解が見つかる。」といったことや、
「〇〇さんに言われたことだから正解だ。」などということは考えていくべきではないでしょう。
正解などはないので「ひとから言われたこと。」なども無視していくのもありなのです。
「先生がこう言っていた。」
「教科書にはこう書いてあった。」
などということに縛られすぎると時間を浪費してしまいます。
そして、いまの世の中はカンニングOKで、発言することが求められているといえます。
そうであれば、じぶんのこころに従っていけばいいんです。
「暗記をしない。」
「ひとの意見を聞かない。」
ということをしていれば、じぶんで見つけた答えなのでどんな結果でも納得はできるでしょう。
たとえそれが間違っていたとしても、またじぶんで考えて新たな一歩を踏み出せるでしょうから。
まとめ
「暗記勝負は早めに切り上げて、じぶんで考えて発言する。」
ということをしていけば納得できる領域が広がっていくかなぁと。
【おわりに】
ここ最近、YouTubeを毎日のように観ていたりします(Netflixも毎日のように観ていますが)。。。
そんなYouTubeで最近観た柿埜真吾さんという方のロジックが興味深かったなぁと。
【一日一新】
なか卯 親子丼