学校の授業を行なう先生は、全国にひとりでもいいはず

学校の授業は、各教科ごとに全国でひとりの先生が行えばいいのではないかなぁ。というよもやま話を。


テーブル。


学校はつまらないもの


「学校はまぢで楽しかったわぁ。」

「できるなら、また学生時代をやり直したい。」

というようなことを思うひとというのは、おそらく少数派でしょう。

わたしの場合にも「どちらかといえば学校はつまらなかった。」という印象が強くあります。

「ただただ繰り返される同じような風景の授業。」

「教える先生によって、密度が異なる授業。」

というものには、飽き飽きしていました。



学校では生きていくうえで必要なことは学べない


学校に行く理由のひとつは、最低限の知識と教養を身に着けて、

「社会に出たときに騙されないため。」に行くものだと思っています。

漢字が読めなければ、契約書の内容がわからずに騙されることもあるでしょうし、

算数がわからなければ、買い物をするときにお釣りを誤魔化されるということもあるでしょう。

とはいっても、この程度の知識であれば小学校卒業とともに、ほぼ身についているといえますよね。

学校に行くのは「騙されないため。」といっても、

生きていくためには必要なはずの法律を学ぶことも、会計を学ぶこともほとんどありません。

また、文章の書き方というのも習う機会はないといえるでしょう。

このように、大人になって振り返ってみると、

「生きていくうえで重要なことを学べなかった学校とは、何だったんだろう。」と考えることもあります。

大学ですら「本を多読したから人生というものを学べた。」というくらいで、講義で得られるものはほとんどなかったかなぁと。。。


先生によって嫌いになる授業がある


その学校生活のなかでもツラかったことのひとつが、

「先生によって授業レベルに差がありすぎる。」ということです。

「声が小さすぎて何を言っているのか分からないから、授業を聞く気がなくなってしまう。」

「黒板に書く字が汚くて読めない。」

「高圧的な態度で授業を行なうくせに、教え方がまどろっこしくて飽きてくる。」

などといったように「本当はわりと好きな科目なのに、先生のせいで受けるのが苦痛になる。」

という授業が多くあったものでした。。。


授業を行なう先生は全国にひとりでいい


「学校なんて嫌いなんだよっ。」

という理由のひとつには「先生が嫌だから。」といったこともあるでしょう。

その先生が嫌いになる理由のひとつには、

「授業がまぢでつまんないから。」ということがあるではないでしょうか。

とはいっても「先生が嫌いだから。」ということで、学校が嫌いになるのは仕方がないとしても、

「学校の授業は面白いよなぁ。」という環境はつくるべきでしょう。

そして、いまの時代であればインターネットを使えば学校単位ではなく、日本単位をベースにした授業が行えるはずです。

「オンライン」という日本中(世界中)で視聴できる環境であれば、

「中学1年生の社会は、池上彰氏。」

「高校2年生の国語の授業は林修氏。」

などといった実力者の方々が、

「あらかじめ収録した内容でわかりやすい授業を行える。」ということも可能になるでしょう。

なので、授業を行なう先生というは、各学年・各教科ごとに日本で指折りのひとが教えるというのでいいのではないかなぁと。

そうすれば、いまよりもわかりやすい授業を受けることができますし、

「学校に行けなくても、学校に行っているひとと同じ授業が受けられる。」といえるでしょうから。


落第も飛び級もあっていいのが人生


アメリカの学校は飛び級もあるようですが、落第もあるとのこと。

たとえば、小学3年生の授業についていけないと、もう一度小学3年生をやり直すという落第があるそうです。

そして、飛び級もあるので「小学3年生でダブちゃったひと」も、

どこかで飛び級をすれば、同級生に追いつくということもあるのだそうです。

この話を聞いたときに、すごくフェアな社会なんだなぁと思いました。

「あるレベルに達成していなければ、もう一度やり直すことになるけど、あるレベルを超えていたら杓子定規に評価するのはなく飛び級もあり。」

という社会のほうが「道から外れても大丈夫だよ。」といわれている気がして安心感がありますよね。

世の中というのは「先に行ったからといっても、それで常に勝ち。」というようなものではないはずです。

もし、先に行っているひとが永遠に勝ち続ける世の中であれば、

税理士として後発組であるわたしは、もう廃業しているかもしれません。。。

しかし、現実には後発組であっても空いている席があるからか、食べていけているということになっています。

おそらく人生とは、落第も飛び級も繰り返していくもので、

「学校の授業もいつでもやり直せる。」のが、理に適っているよなぁと。

「15歳でダブっちゃっても、30歳では飛び級しちゃってる。」というのは人生の醍醐味でしょうから。


まとめ


夏休みが終わる前日には「学校なんて。」と思うものでした。

もう少し、教育の現場にも「日本の未来を繋ぐために」という本気度があればなぁと。

落第しても飛び級できるのが当たり前の人生のはずなのに、学校はあまりにも窮屈ですよね。


【おわりに】

娘とは四半世紀の歳の差があるのですが、

学校の制度がわたしのときとほとんど変わっていないのが残念です。

もっと学校と社会がシームレスにならないものかなぁと。


【一日一新】

マックフィズ渚のブルーハワイ

Pocket

タイトルとURLをコピーしました