「卒業式に肩を組んで涙ぐむ。。。」などという感情が欠落していても人生はうまくいくかなぁと。
卒業式で泣くことはなかった
「このメンバーと離れ離れになるのが悲しくて。。。」といったことを感じるのが卒業式だといえるかもしれません。
「みんなで校歌を一緒に歌うのも最後だし。」と。
とはいっても、卒業式で悲しい気持ちになったことはないかなぁと。
「みんなで合唱。」ということが苦手でしたし、
合唱コンクールなどでもずっと口パクか全く歌う素振りもみせなかったからか音楽の成績は5段階中2だったものでした。
だからか、合唱コンクールなどでは「ちゃんと歌ってよ。。。」と女子に泣かれてしまうキャラだったといえるかもしれません。
なので、昔から「ひとと合わせる。」ということはそれほど得意ではなかったといえるのかもなぁと。
そして「卒業が悲しい。」というよりは、やっとこの窮屈な世界から抜けられて嬉しいと思っていたものです。
おとなになってもずっと学校に行っている感覚があった
学生時代の「みんな一緒に。。。」という世界を窮屈に感じていたにも関わらず、
社会人になってからも「窮屈な世界なのは変わらないなぁ。。。」と思ったものです。
「制服の代わりにスーツを着る。」
「髪の毛は染めることができない。」
「実力はわからないけど歳上というだけで敬わなければならない。」
といったことを社会人に成り立ての頃は心のなかで反発していたものでした。
「学校を卒業したはずなのに、また学校に入ったようなもんじゃんか。。。」と。
このような鬱屈した気持ちを抱えていたからか、
「税理士になって独立する。」といった道に素直に来られたのかもしれません。
涙を流すことなく卒業するのもあり
卒業式に涙を流すような感情を持ち合わせてもいなく、
学校も会社も「あぁ、早く卒業したいなぁ。」と考えていたものでした。
そんなことを感じていた組織にいた頃には、常に誰かの顔色を伺っていたのかもしれません。。。
「どこまでが怒られない範囲なんだろう。」と。
ただ、誰かの顔色を伺うことがなくなった独立後の世界は、永遠に在籍し続けたいと感じられるような場所だといえます。
収入は明確で、ランチの時間は自由。そして、苦手なひととは距離を取ればいいだけですし。
なので「卒業式に感極まって涙を流す。」という感覚がないひとであれば、
「組織に属することを諦める。」として、何かで独立して生きていける道を見つけるようにするといいかもしれません。
「生きているのが窮屈。」と感じてしまうのは、じぶんが悪いわけではないのです。
「いまいる場所が窮屈なだけ。」
だからこそ、卒業したい場所であれば涙を流すことなく卒業してみちゃいましょうよと。。。
まとめ
卒業式に肩を組んで涙を流しながら合唱している風景を見て、こんなことを考えてみました。
【おわりに】
「言葉を略す。」というのは、いろんな流派があるんだと思います。
最近ちょっと引っかかっていた「信用保証協会付き融資。」を「保証付き融資」と略す言葉。
今日、信金のひとに尋ねたらそのようには略さないと聞いて、やっぱりそうだよなぁと。。。
【一日一新】
紅虎餃子房
ポケモンセンターメガトウキョー
YouTuberフォーエイト48