「休むことに気を使う。」
ということがないのも独立のメリットのひとつかなぁと。
「お休みさせて頂きます。」という大人用語
社会人としてはじめて働いた際に学んだことのひとつが、
有休を取る前日に「明日はお休みさせて頂きます。」
ということを、その職場の人間全員に言うことが「社会人としての嗜み」だということでした。
また、有休から明けた際に「お休みありがとうございました。」
などというものも、有休を取得し終わった身分としての通過儀礼だったといえます。
たしかに仕事というのはチームで行なうものだといえるので、このような言葉を伝えるというのは大切なことだと思います。
また、休むということを言葉にしたほうが仕事もスムーズにいきますし、
「何かあるの?」などと言うことから、新しいコミュニケーションが生まれることもあったので、決して嫌いな行為だったわけでありません。
独立してからの休みはじぶん本位でいく
「独立した状態を死ぬまで維持したい。」
とも考えているので「お休みさせて頂きます。」という言葉を使うことは、もうないのかもしれません(ひとを雇わなければ)。
また「お休みさせて頂きます。」という言葉は、伝えるのにそこそこプレッシャーがある言葉だったともいえます。
「えっ。何で休むの。」という心の声が聞こえてきそうで。。。
だからか「休むことに気を使わない。」ということは、かなり心地がいいものだといえます。
連休などが重なる場合に「GWは休まれるんですか。」などとお客様に聞かれても、
「基本はカレンダー通り動きますけど、場合によっては10連休にしちゃいます。」などと話せるのも気が楽なものです。
このような「休むこともじぶん本位でいく。」というのも、休むことに対して心が軽くなるといえるよなぁと。
じぶん本位の心地よさ
有休を使って旅行などに行った際にあるといえる、
「会社のためにお土産を買う。」という行為も気を使うものだったりしますよね。
有休明けに「お土産を買ってきたのでどうぞ。。。」などという大人な行為も手間なだったよなぁと。
このような「お土産を買うのはじぶんのため。」と気兼ねなくできるのも、独立後の世界だといえるでしょう。
「いつ休んでも。」
「どこに行くのも。」
「お土産を買うのも、じぶん本位にできる。」
というように選択肢をじぶん本位で持つことによって、意思決定のスピードも速くなっていくものです。
なので「じぶん本位に生きることで結果的に周りにいるひとにも喜んで貰う。」ということができるのも独立したからこそなのかもしれません。
まとめ
「気兼ねなく動く。」という世界もこちら側にはあるものです。
【おわりに】
バズワードがDX→NFT→Web3と移り変わっているような気もしますが、
「NFTのデジタルアートは複製不可能。」という話に対して、違和感を持たないのかぁと。
「デジタル」アートという意味がわかってないのかなぁとも思ってしまいます。。。
そんなことを感じているのでこの記事はおもしろかったなぁと。
【一日一新】
成城石井 鶏もも肉の照り焼きとそぼろの鶏づくし重