習慣に恐れすぎずに「休む、休むんだ。」とできるかどうかに人生はかかっているというお話を。。。
習慣という核
「独立後を清く正しく生きるコツは。。。」
と聞かれたら、習慣をつくっていき日々それをクリアしていくことだと答えるかもしれません。
習慣をつくるからこそ「なんだかなぁ。。。」と、なんとなく毎日が進んでいくことはありませんし、
習慣があるからこそ「おぉ、ここまで来たかぁ。」と。じぶんが歩んできた軌跡のようなものを辿れるといえます。
たとえば、
「ブログとホームページのどちらかに毎日記事を書く。」
「早朝にジムで筋トレをする。」
「平日は税理士業を最低でも1分以上おこなう。」ということを独立後の習慣として、いまもじぶんにとっての核としているものです。
オープンな習慣があると自己嫌悪に
「筋トレは今日もやった。。。」
「税理士業は今日もやった。。。」
と言い張ることができる習慣とは異なり、発信系の習慣は観ているひとがいるとするとバレやすいといえるものかもしれません。
「あいつ、今日の発信してないなぁ。。。」といったように。
だからか「毎日発信!」と意気込んで素敵な発信をしていたにも関わらず、習慣の罠に破れて去ってしまうひとがいるのでしょうし、
「ログを書き換えれば毎日発信していることになる。」といったことをするひとがいるのかもしれません。
たしかに、動き出す際には目標やノルマを課したほうが取り組みやすかったりもするものです。
わたしも、じぶんのサイトでの発信を「毎日発信」と決めているので、
記事を書く時間を1日のなかでつくり出せていますし、いつの間にか時間を確保することがなくても更新が続けられるようにもなっていったといえます。
それでも、発信系の習慣は全世界にオープンになっているので達成できなかった際には自己嫌悪に陥るものです。
「やっちゃったなぁ。。。」と。
休めれば、きっとホンモノ
とはいっても、人間なので毎日発信できない日もありえるといえます。
わたしも「これは完全に風邪をひいたわぁ。。。」などとこの2日間布団に包まっていたものです。
その際にも「毎日発信できないことがバレると恥ずかしいから、記事を書こうかなぁ。」とかなり逡巡したといえます。
「1時間くらいなら起きて書けそうでもあるよなぁ。。。」
「いや、でも休んで治すほうが正しいとChatGPTに言われているしなぁ。。。」などと考えながら。
ただ、ある程度習慣にできているテキストの発信は、多少途切れてもまた続けていける感覚はあったりするのです。
「昨日も書けなかった。。。」
「一昨日も書けなかった。。。」と自己嫌悪に陥らなくはないものですが、休んでから書けばいいじゃないかと。
なので、続けていることがあって、その続けていることが止まっている状態なのをひとの目にも触れているときでも、
「まあ、まあ、これも人間だし。。。」と堂々と休んで、回復してから帰ってくればいいんじゃないかなぁと。
カムバックしたひとには勇気づけられますし、休むときには思いっきり休んでいるひとのほうが人間味もあって好きだったりするかなぁと。
まとめ
休むこともときには大切だったりするものです。
【おわりに】
本気の風邪をひいてしまい寝込んでいました。
たぶん、YouTube撮影していた海辺が寒すぎたんだとおもいます。。。
海辺だと気持ちよく言葉がでてくるのでおすすめなのですが、冬は避けたほうがいいのかもしれません。
【一日一新】
ウイダーinゼリー ブドウ糖