「あぁ、日本と違うんだなぁ。。。」とじぶんのなかにある、あたりまえ感を崩す意味が海外旅行にはあるのかもなぁと。
あたりまえがあたりまえすぎて違和感もないとった感覚
「どこのお店に行っても店員の方は親切。」
「電車に乗っていても席を譲るひとはあまり見かけない。」
「トイレはきれい。」
「価格は税抜きと税込みの二重表記。」
「車は右ハンドル。」といったような様々なことが、日常過ぎて何の意識もなく生きているといえるかもしれません。
それこそ「何にそんなにキレているんだろ。。。」と完璧な接客をしているように感じる店員の方に対して、
怒りをあらわにしているひとを見かけても「日常風景のあたりまえのひとつくらい」にしか感じていないともいえます。
韓国は電車でこんなに席を譲るんだといった感覚
独立してからは電車に乗る機会が圧倒的に減ったといえます。
それこそ「今月、1回も電車に乗っていないかも。。。」などと勤めていた際に平日毎日乗っていた電車を懐かしく感じることもあるものです。
そんな電車は「よっぽど体調が悪くなければ、座席には座らない。」といったルールで乗るようにしています。
座ると「隣のひととの距離感が近すぎる。。。」と過敏な反応をしてしまうからです。
だからか「あのひとを座らせたほうがいいんじゃない。」といったことも立っていると目に付くといえます。
ただ「電車で席を譲る。」といった光景を見かけることは少ないかなぁと。
「オジサンほど席を譲らないもんなんだね。。。」とも感じているといえます。
なので、韓国で電車に乗った際に、
「な、なにか事件でもおきたの。。。」というくらいの勢いで、運行中の電車内で座っていたひとが何人も立ち上がったことには驚いたものです。
「この全員が高齢の方に席を譲るために立ち上がったのか。」と。
などという「電車内での座席を譲る。」といった光景を韓国では何度も見かけたものでした。
日本では「絶対に譲れない戦い。」を繰り広げていそうなオジサンと感じるひとも席を譲っている光景を見て、
「こっちはこれがあたりまえなんだね。」と日本とはあたりまえの感覚が異なることに視界が開けたともいえるかもしれません。
行列ができているお店でも譲る
「行列に並ぶのは日本人だけ。。。」ということをメディアなどで折に触れて聞く機会があったといえます。
とはいっても「海外もiPhoneの発売日に並んでるじゃん。」
「アメリカ人も結構、行列に並ぶよ。。。」といったことを見聞きしたりはするものです。
韓国に行った際にも「ここは有名店。」といった飲食店では行列ができていたものでした。
そんな行列店でも、店員の方が高齢者を見かけると行列をファストパスさせて先に席につかせていたりもしていたものでした。
「こういう場所でも席に先に座らせるのがあたりまえだとする文化があるのかぁ。」と。。。
たしかに「お店や電車での列は日本ではありえないほど距離を詰めてくる。」
「どのお店の店員の方の態度も「んっ、機嫌が悪いの。」と感じるほどで、日本の方がおもてなし感はある。」
といったことを感じたものですし、日本の方がサービスも行き届いていて過ごしやすい感はあったものです。
「電車に時刻表がないのは、せっかち人間からすると厳しい。」などとも感じたといえます。
などというような日本のあたりまえが韓国ではあたりまえではなく、韓国のあたりまえが日本のあたりまえではないといった日常。
じぶんのなかにある「あたりまえ感」を強制的に払拭できる効果が海外に行くと得られるのかもしれないなぁと。
まとめ
じぶんのあたりまえが崩れていくのは心地いいなぁと。
【おわりに】
音楽が好きなので、韓国のお店に入った際には音楽にも聴き耳を立てていたりと。
正直、JPOPのほとんどすべてに「サウンドプロダクションが劣悪すぎる。。。」と感じるのですが、KPOPはサウンドプロダクションがワールドクラスに感じたという。。。
そして、海外にいるときにも仕事の依頼があるのも発信を続けているひとつの効果なのかなぁとも感じました。
【一日一新】
韓国もろもろ