「そんなにわかりやすい成果を求めなくてもいいんじゃないかなぁ。」ということを書いていきます。

学生時代は成果がわかりやすい
「テストで80点以上取れば成績が上がる。」
「テストで80点以上取れば合格する。」というように、学生時代の成果はわかりやすかったといえるかもしれません。
それこそ、税理士試験も「ここを丁寧に解答すれば合格は見えてくる。」というように成果を掴みやすかったりするものだったといえます。
だからか「成果というのは掴みやすいもの。」という感覚を持っている方も少なくないでしょう。
「これだけやったんだから、思い描いている成果にはなるはず。」といったように。。。
とはいっても、社会人になったり事業をじぶんで営んでみると成果はつかみにくい部分もあったりするといえます。
事業を営むうえでの成果
たとえば、税理士業を営むなかで毎日一定量のストック型の発信をしていると、
「わりと時間もかからずに人気者になれる。」という考えを発信を始めた頃のわたしは持っていたものでした。
「YouTubeなんて、サクッと登録者数1万人は超える。」
「毎日仕事の依頼が来て、ダイヤモンド社か幻冬舎からの執筆の依頼が来る。」といったように。。。
とはいっても、そのような思い描いている成果にはなかなかなっていないといえるかもしれません。
税理士業でも「毎日のように依頼が来る。」ということはなかなか見たことがない世界線だといえます。
なので「わかりやすい成果はなかなか訪れない。」といったことを日々感じたりもするものです。
「有名人になった。。。」というような成果も感じたことがないといえます。
ただ、わかりやすい成果がなくても、じぶんが納得できる成果は日々の活動を通じて得られているといえるかもしれません。
じぶんなりの成果は得られる
「じぶんなりの成果。」ということでいえば、文章を書くことにはかなり慣れました。
「どうしよう。。。こんなことを書いても恥ずかしいだけ。。。」などということは全く思わなくなったものです(思ったほうがいいのかもしれませんが)。
むしろ「恥ずかしい部分を出せてこそでは。。。」とも考えるようになったものです。
また「いまの時代、動画がないのはイケてないよね。」とも感じて発信しているYouTubeも数字的な成果は見えにくいかもしれませんが、
「ひとまず、話すことに対する恥ずかしさはなくなったわ。」といった成果を感じていたりもするといえます。
それこそ「税理士がアクセサリーをしているのはどうなんだろう。。。」と撮影時には外していたのも、じぶんらしさというので外すのもやめました。
税理士業なども「なんでも知っている、経験している風。」を変にお客様に出さなくなったものです。
「ちょっと、調べてみます。」というセリフも状況に応じて使えるようになったといえます。
などという成果は、ひとにとっては些細なことでしょう。
そして、対外的には目に見える成果でないといえるかもしれません。
ただ「いいじゃん。そんな簡単に目に見える成果を得られなくても。」といった図太さを手に入れられるようにはなったかなぁと。
わかりやすい点数で評価されないのも、生きるうえでのひとつのコツなんだろうなぁと感じられるのもひとつの成果だったりするものです。
まとめ
わかりやすい成果には時間もかかったりするものかもしれませんが、目に見えにくいじぶんだけの成果をもっと噛み締めていったいいんじゃないかなぁと。
【おわりに】
桜はふだんお花にそれほど意識を向けていなくても、見に行きたくなる魅力があったりするものですよね。
東京都の世田谷区と目黒区に跨っている目黒川沿いの桜もめちゃくちゃキレイでした。
【一日一新】
映画「変な家」