無為に過ごせるのは人間がAIではないからできるのかもなぁと。
AI論には共感できないことも多い
「AIに仕事が奪われる。。。」
「AIができない領域を人間がやるべき。。。」などといったAI脅威論やAIブレイクスルー論。
どちらに対しても納得ができる部分もありますし、理解ができない部分もあったりするといえます。
たとえば、税理士業のメインともいえる申告書の代理作成などは、
データがすべてインターネット上にあれば、AIがつくったほうが精度の高いものをつくれるはずです。
そうすれば税務署からの優しさ溢れる問い合わせも減ったりするものかもしれません。
なので、申告書の代理作成といった仕事の単価は「AIで完璧にできちゃう。」という低価格の波に飲まれる脅威の領域にはなるのでしょう。
「税理士資格を取ったから人生が変わった。」などと言えないほどの低単価になっていくことは、もう見えているといえるかもしれません。
また、AIがデキない領域として挙げられる税理士業のなかでの相談・コンサルティング業務。
これもAIができてしまう時代がそう遠くないうちに来るか、もう来ているといえるんじゃないかなぁと。
いまの精度のChatGPTでも相談に対するある程度の答えを確認できる時点で、
それほど遠くない未来に話しかけるだけでかなり深いコンサルティングをAIから受けられるのでしょう。
だからか「AIがデキない領域を。。。」という話を聞いても、共感ができなかったりもするといえます。
特に正解もないのにホラーに触れ続ける
それでも「定型業務を行なうホワイトカラーの仕事は低収益化していく。」といった論調には共感できるといえます。
定型業務であれば、正解を出すことを得意とするAIの方が時代とともにさらに得意になっていくことが予想されるからです。
定型業務でもAIに置き換えられないのは、
「AIを導入するよりもひとを使い続ける方がコストも低いから。。。」といった領域だけになるのでしょう。
とはいっても、人生の魅力のひとつには「正解を求め続けない。」ということもあったりするのかなぁと。
「常に正しい。」といったものだけを追わないことが人生の心地良い瞬間だったりもしないでしょうか。
たとえば、わたしは定期的にホラー系の小説や映画、動画を観ては、
「怖くもないし、意味もわからないし、拙いなぁ。。。」などと感じていたりもするものです。
それこそ「本当に怖いのは、幽霊的エピソードではなく信頼していたひとに裏切られるエピソードでしょ。。。」などと考えながら。。。
だからといっても「ホラー系に触れないのか。」といえば、そのようなことはなく。
「次こそは、じぶんがまだ知らない本当のホラーがあるはずだ。。。」などと恐怖を求めてホラー系に触れたりもするものです。
この夏もひとつの話題となっていた雑誌BRUTUSの特集「怖いもの見たさ。」で、
ホラー系のメディアがランキング形式で特集をされていたのを目にして特に動画を中心に見ていたものでした。
「やっぱり、それほどだったかなぁ。」などと感じながら。。。
無為に過ごすのも
それほど得るものがないのにホラー系を追ってしまうのは、まさに「怖いもの見たさ。」なのでしょう。
ホラー系の小説なども「これは読み難くくて最後まで読めないわぁ。。。」と感じながらのひと夏の体験だったといえます。
そういえば、学生時代に心霊スポットにいくつか訪れましたが霊的な発見はなかったなぁとも思い出したりもしたものでした。
とはいっても「この夏にホラー系に触れ続けたのは失敗だった。」などとは感じなかったものです。
「こういう表現方法もあるよなぁ。」などと、その作品ひとつひとつには共感を持ったといえます。
などというように、正解よりも共感を人間は求めているんじゃないかなぁと。
心霊スポットに行く動画を観ては「行きたくなる気持ちはめっちゃわかる。」などとかなりの共感を持ったものでした。
まとめ
たしかに「答えがある生産には人間はもうAIに勝る部分が少ない。」といえるのかもしれません。
それでも「エラーが頻繁に起こる人間はいらない。」などとなっては、芸術などの正解がない表現を行なう世界はなくなってしまうでしょう。
「答えがないから無為な時間も楽しめる。」というのが人生の心に残るワンシーンだともいえるのではないでしょうか。
そんな無為な時間を過ごせるようにAIを味方につけながら、次の正解のない領域を探していきたいなぁと。
【おわりに】
映画のジャンルでいうと恋愛系や青春系の物語が好きだったりです。
最近、続編を観たNetflixの「キスから始まるものがたり」もコテコテのアメリカン映画なのですがわりと好きだったなぁと。
【一日一新】
ダイソーの鏡