他人の失点がじぶんの得点になるとは考えないほうがいい

「他人の失点がじぶんの得点になる。」

そのような考え方はあまりしない方かなぁと。


じぶん基準でいいなぁと。


ひとの愚痴を言う方が通常なのかもしれない


「あの上司は仕事ができない。」

「あのひとは何でいつもああなの。。。」

というような会話は、日常的にあったりするものですよね。

むしろ「ひとの愚痴を好物にする。」という方も少なくないのかもしれません。

たしかに「言わなければ気がすまない。。。」ということもあるものでしょう。

とはいっても、そのような「ひとを攻撃することを好物とする。」というのは通常ではないと考えていくべきかなぁと。



他人の失点がじぶんの得点になるとは考えない


「他の派閥の人間がミスをすれば、じぶんの派閥が有利になる。」

「あのひとが辞めれば、じぶんがそのポジションを得られる。」

といったような「誰かの失点がじぶんの得点になる。」というような場面もあるものでしょう。

ただ、「じぶんの視点よりも先に他人の視点が先に来る。」というような考え方はやめたほうがいいかなぁと。

たしかに「ひとと比べることによって、じぶんの現状を認識する。」というのは、わかりやすい物差しだといえるかもしれません。

とはいっても「他人の失点を願わない。」という考え方を持つことも必要だといえます。

「あのひとが失敗すれば。。。」という気持ちになることもある程度は理解できるものです。

それでも、じぶんの人生というのは他人基準で生きるのではなく、

「じぶんを起点として生きる。」ということを意識していったほうが、幸せを感じる場面は増えるのかなぁと。


リスペクトしてこそ部屋は増える


たしかにスポーツのように「いかに他人に失点させるか。」というものもあるものです。

とはいっても、仕事や生きることに関しては「他人の失敗を。。。」と考えるよりも、

「あのひとはホントに凄いから、もっとやっちゃってくれ。」などというように、リスペクトしながら生きるほうが楽しいといえます。

「ホント凄いよなぁ。」

「どうやったら、そんな風になれるんだろう。」

と尊敬するひとを追いかけていくことで、

「あのひとが頑張っているから、その力を分けてもらおう。」と考えることもできるものです。

なので「他人の失点を願う。」くらいなら、

「他のひとのハットトリックを期待する。」

というように考えていくほうが、じぶんも強豪チームに入れる確率が高くなるかもしれません。

おそらく、スポーツとは違い通常の世界には人数制限などはなく、できるひとにはどんどん部屋が与えられていくのでしょうから。


まとめ


他人の失敗を願うよりも、成功を一緒に喜べる人間になりたいなぁと。


【おわりに】

GoProの厳しいところは熱暴走で撮影が急にストップするところ。

気温が高くなってくると、この熱暴走の機会が増えて悲しい気持ちになります。。。


【一日一新】

新宿とんかつさぼてん 選べる御膳

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