サッカーを観ていて人生を学ぶ3つのこと

サッカーを観ているなかで人生を学ぶこともあるなぁと。


サッカーゲーム。


海外サッカーを観ることが人生のひとつの楽しみ


「週末はイングランドのプレミアリーグを観る。」

ということが、人生のひとつの楽しみになっています。

F1やテニス、野球、競馬なども機会があればみることもありますが、やはりサッカーが好きかなぁと。

「わかりやすいルール。」

「広いピッチを選手が連動していく美しさ。」

「ボールが止まらない展開の速さと緊張感。」

「イングランドプレミアリーグのカメラアングルの秀逸さ。」

などといったように、サッカーほど熱狂させてくれるスポーツはないかもと感じています。

日本がワールドカップにも出場したことがない時代にサッカーをやっていたので、

「あの頃にこんなサッカーのやり方を教えてくれていればなぁ。」と思うこともあるよなぁと。



サッカーを観ていて人生を学ぶこと3つ


それでは、サッカーを観ることで人生のこんなことを学んでいるというものを挙げていきます。

ひとは歳を取る

ロベルト・バッジョ。ティエリ・アンリ。リオネル・メッシ。。。

どれだけ世界最高峰の選手だったとしても、

「全盛期。」といわれる期間というのは永遠ではないといえます。

たとえば、リオネル・メッシやクリスティアーノ・ロナウドのような、

「史上最高の選手」だったとしても、

「年齢を重ねることによるプレースタイルの変化。」というものを受け入れないといけません。

若い頃はハーフウェイラインからゴールまでドリブルで切り裂いていた彼らも、年齢とともにプレーエリアは狭くなっていくものです。

なので、サッカーを観ていると、

「どれだけ最高峰の選手だったとしてもやがては現役生活を終えなければならない。」という年齢の壁を感じることもあります。

だからこそ、いつまでも同じような働き方をするというよりは、

「年齢や時代に合わせた活躍をしなければならない。」という生き方に対する意識を、サッカーを観ていて学ぶことがあります。

どこでも活躍するは難しい

サッカーを観ていると、

「あれだけスーパーな選手だったのに、なぜ活躍できなくなったんだろう。」ということを頻繁に目にするといえます。

たとえば、アーセナルでは「稀代のプレーメーカー」として活躍したアレクサンドル・フレブという選手が、

バルセロナに移籍した際に「ほとんど活躍することができなかった。」ということがありました。

当時、彼がバルセロナに移籍する際に、

「こんないい選手を持っていくなんて。。。」と憤りを感じましたが、活躍しない姿を観ていて悲しく思ったものです。

このように「実力は世界でも一級品」だったとしても、

「チームを移籍したり監督が変わることで活躍するしないがあったりする。」

ということをサッカーを観ていると学ぶことがあるといえます。

なので「どこでも輝ける。」ということは、人間にとってはかなり難しいことなのかなぁと。

すると「ひとは実力に関わらず環境が変わると活躍できないことがある。」と考えて、

「じぶんが輝ける居場所を探す。」

ということが人生にとっては必要なことだといえるのでしょう。

ひとつのことだけをやってはいけない

スペクタクルな現代のサッカーチームを観ていると、

「選手1人ひとりの役割がひとつだけということはない。」と感じることがあります。

たとえば「フォワードの選手は守備をしないのはあたりまえ。」といった時代がかつてはありましたが、

いまは「フォワードがファーストディフェンダーになる。」ということが求められています。

また「ゴールキーパーは、相手のシュートをストップする。」ということだけが仕事だったはずが、

「パス回しにも参加し、ときにはチャンスメイクをすることが求められている。」ともいえます。

このように「求められる役割が時代に応じて変わっていく。」ということを、サッカーを観ていると感じることもあります。

なので「税理士だから税金の計算だけをやっているのが役割。」

というわけではいけないということも、サッカーを観ていて学べるといえます。

「じぶんができる役割は何か。」ということは、時代に応じて常に探し続けなければならないのでしょう。


まとめ


サッカー好きがサッカーを観ることで、一般社会にも活きることもあるということを書いてみました。


【おわりに】

好きなチームは、イングランドプレミアリーグのアーセナルです。

もう20年近く観続けています。


【一日一新】

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