文章を書く習慣にを身につけることで、ひとを攻撃しなくなる

何かを感じたときには「ある程度まとまった文章」を書いてみると、気持ちが整理されることがあるよなぁと。

なので、文章を書いて心を落ち着けるのはありだとおもいます。



まとまった文章量を書くことで冷静になれる


日々ブログを書くことで感じる効果のひとつは「冷静になれる。」ということです。

このブログに関しては「最低1,000文字以上。」と一定数以上の文字数を目安に書いているからか、

「書き始める前と書いている最中で内容が変わる。」ということがわりとあります。

「書き始める前と内容が変わるなんて、詰めが甘いんじゃ。」

と思われるかもしれませんが、

「あぁ、こんなことを考えていたんだなぁ。」と、

書くという行為をすることによって「じぶんの考えがまとまっていく。」という効果を感じています。

これが「わずか数行のみ。」という制約がある文章であれば、

「言葉足らずでもいいかなぁ。」といえるかもしれません。

しかし、ある程度の文字数で書いていると「ここはちょっと過激かも。」といったことや、

「もう少し、この部分に文章を付け足しておかないと意味が通らないかも。」

というように、じぶんの考えを学べる機会が多くなります。

なので、まとまった文章量を書く効果は、

「書きながら冷静になっていく。」ということだといえるかもしれません。



文章を書く機会があると攻撃をしなくなる


税理士として独立をしてからは、以前よりもネットに触れる機会は増えました。

そして、営業ツールとしてネット上に軸足を置いてみると、

「ネットって攻撃的なひとが多いよなぁ。」ということを感じることもあります。

たとえば、TwitterなどのSNSでは、

「税理士が税理士ではない人に攻撃を仕掛けている。」ということをわりと目にします。

たしかに、Twitterなどでの「トンデモ話。」を見かけると、

正義感から「間違いを正す。」という気持ちになるのはわからなくはありません。

とはいっても、短い文章であれば「トンデモ話」を書いた人も、それに対する反応をしている人も、

「言葉足らずで、どっちもどっちのような気が。。。」ということを感じてしまいます。

ブログを書いているなかで感じることのひとつが、

「文章はある程度の文字数を書かなければ、その真意は伝わらない。」ということです。

なので、もし誰かを攻撃しようとするのであれば、

「まとまった文章量を書く。」ということをする必要があるのでしょう。

文章量があれば、様々な可能性を論じることができます。

そして、文章量がある文章を書いていると、

「攻撃してもなぁ。」と冷静になることもできるかもしれません。


常に勝たなくてもいい


じぶんの論調と合わない意見をみると、

「じぶんのほうが正しいんだぁ。」という気持ちになるのはわかります。

とはいっても、その相手を「論破しよう。」などといったことは、あまり考える必要もないでしょう。

もし、納得がいかないことがあるのであれば、

「日々じぶんのメディアに一定の文章量で考えを書いていく。」

ということをしていけば、

「あぁ、無理に戦いを挑む必要もないかなぁ。」

と、客観的に世の中を見られるようになるといえるのではないでしょうか。


まとめ


攻撃的にならずにすむというのは、一定数以上の文章を書くということなのでないかなぁと。

文字数がある文章を書いていると、

「じぶん自身のこと知ることができる。」

という効果がありますし、じぶんの文章に対しても客観的になれるはずです。


【おわりに】

今日は「そろそろランチにでも。」と思ったときに、大雨が降ってきました。

もう1分早く外に出ていたら大変だっただろうなぁと。


【一日一新】

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