人生であと何回これをできるだろうと考えて生きるのもありかもしれない

わりと死を軸に人生を考えるかなぁと。


父母ヶ浜。


わりと死については考える


「いまの人生は充実しているからいつ亡くなっても。。。」

「でも死は怖いなぁ。。。」といったことをわりと考えたりするといえます。

いま40歳なので早いのかもしれませんが、

「あと何回、冬を過ごすことができるんだろう。。。」といったことを考えたりするのです。

「最低でも10回は経験したいけど、それでも10回しかないのかぁ。」といったこともよく感じたりするといえます。



いまの人生は100点を超えている


「いまの人生をどう思っているのか。。。」といえば、

「100点満点中の100点を超えている。」といったことをわりと感じながら生きられているといえます。

じぶん以外は女性しかいない家のなかでもハブられることもなく、

「わたしよりも家事をやってくれて助かるわ。。。」などと妻に言われるまでになれたのも登りつめた感があるものです(たぶん泳がされているのでしょうが。。。)。

また、仕事に対する大きな不満がないのも人生の充実度を感じているといえるかもしれません。

「いま転職を考えていて。。。」などという話を聞くと、

所属組織を変更する必要がない働き方を見つけられているので、大きなジョブチェンジで悩まされることもないといえます。

「税理士がいらなくなる。」という世界になったとしても、なんとかできる感を持っていたりもするものですし。

なので、少なくとも働き方には大きな不満もないものですし、会社に行くのが億劫だなぁということも全くなくなりました。

「売上=収入」となるのもわかりやすいですし、

「時間=全部じぶんで使える」となるのが、何事にも代えがたい世界だとなっています。


あと何回生きてもいまの人生を超えられない


だからか「これから輪廻転生をしてもいまの人生を超えられないだろうなぁ。。。」といった感覚を持って生きています。

「朝からサービス残業がある。」ということに心をすり減らしていた頃と比べると、仕事もじぶんの手の中に収められているので不満もないのです。

「じぶんはこんなに不幸で。。。」といったほうが共感を得やすいものなのかもしれませんが、大きな不幸もないといえます。

なので「生き方を迷っている。」と言われると、

「心になかで考えていることをやっちゃいなよ。。。」と感じるものですし、じぶんの選択で人生を決められるのは人間本来のある姿だと感じたりもするたりもするのです。

人生において死というものから逃れられないのであれば、

「あと何回これができるんだろう。。。」と考えてみる必要もあるんじゃないかなぁと。

「もう一度足りとも繰り返したくない。」と考えているなら方向転換をした方がいいものですし、

「この人生を繰り返していきたい。。。」と感じているなら、それをじぶんに誇って生きていっていいのです。


まとめ


人生を噛み締めていきましょう。


【おわりに】

天候が悪いなかで日本のウユニ塩湖(父母ヶ浜@香川県)に来ましたが、めちゃくちゃ幻想的だなぁと。

いまのところ石川県の千里浜なぎさドライブウェイとツートップです。

「江の島の汚い海とぜんぜん違うね。。。」と神奈川県民だからか感じてしまうという。。。


【一日一新】

あること

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