更新が途絶えるのは読者として悲しいという話

「このブログ終わっちゃったのかも。。。」と予告なく更新が途絶えるのは悲しいというお話を。


道を間違えて反対側のこっちに来ちゃった@箱根湯本。


「読む」が好き


電車に乗っていると「スマホでゲームや動画を観ているひとって多いなぁ。」ということを感じたりもするものです。

それこそ、ほとんどのひとを見下ろすことができるからか、

「読むよりも観るほうが多数派なんだ。」といったことを改めて感じるかなぁと。

ただ、どちらかといえば観るよりも読む方が好きだったりするものです。

そして、読む習慣があるので得意ではないことに遭遇しても、

「ひたすら読んでみよう。」として解決の糸口が見つけやすくなることを実感しているといえます。

経験したことがないものであっても本を何冊かまとめて読めば、ある程度体系的につかめたりもするからです。

「タイパ重視だから。。。」という風潮があっても、YouTubeを倍速再生しても追いつかない情報量が読むことによって得られるといえます。

だからか「読むことを得意としている。」となれば、未知のことでもあたりを付けやすくなるといえるかもしれません。



更新が途絶えるのは悲しい。。。


そんな読むことのなかには、ブログなどのインターネットメディアのものを読む機会も少なくないといえます。

たとえば、毎日更新されているようなサイトだと、

新聞の社説を欠かさずに読むように「読まなきゃ寝られない。。。」と感じるほど生活の一部になっているのです。

ただ、新聞などの明確な仕事と異なるからか「書かなければならない。」ともいえるメディアと違って、

善意で続いているものだからか、不意に予告なく最終回を迎えてしまうようなブログサイトは少なくないといえるかもしれません。

そんなことに遭遇すると悲しくなるのです。。。

それとともに「書いているひとに何かあったのかなぁ。。。」とも感じてしまうといえます。

この2023年11月も、3年近く毎日更新されていたサイトが今月に入ってから一度も更新されておらず悲しい気持ちでいっぱいだったりするのです。

更新されていた方からすれば顔も名前も知らない誰かなのでしょうが、購読することを生活の一部にしていたので心に穴が空いてしまったなぁと。。。


エピローグは必要かもしれない


読者というのは勝手な思いを抱くものなのでしょうし、更新を心待ちにするのも厚かましいものかもしれません。

そして、始めるのは簡単かもしれませんが、続ける難しさはわたしも日々感じているものです。

たとえば、平日毎朝の習慣にしている筋トレも「今日はジムに行くのをやめようかなぁ。。。」といった考えが毎朝起きるたびに過るともいえます。

「アーセナルのブカヨ・サカ選手ばりの身体になるまで続けるんだろ。。。」とじぶんに言い聞かせて思い留まって続けていますが。。。

なので、じぶんなりの目標を達成した場合には終わりにするといったこともありなんだろうなぁとは感じるものです。

とはいっても、最終回の予告もなく終わってしまうのは悲しいです。

たしかに「エピローグを見たい。」というのは読んでいる側の勝手なエゴな部分もあるでしょう。

発信を続けていても読者の方やその雰囲気を感じることは難しいものですが、更新を待ち続けているひとはモニターの向こうにきっといるのです。

だからか「読んでいるひとはエピローグを求めている。」というのは考えたほうがいいのかもしれませんし、読者としても求めてしまうといえます。

せめて、じぶんの発信にはエピローグを期待されているということを忘れずにいきたいなぁと。


まとめ


発信を読んでいるなかで不意に終わってしまうのは、やっぱり悲しいものです。

なので、わたしが発信をおわりにする際にはせめて最終回だという旨だけは伝えていかなければなぁと。


【おわりに】

車を運転する際には雨の日ほど車間距離をいつもより多めに取るのですが、わたしの前をちょっとイキって走っていた車がスリップして壁に衝突してしまったという。。。

大事故ではなかったのですが、さすがにびっくりしました。

雨の日ほど車間距離は空けたほうがいいかもです。。。


【一日一新】

消しゴムマジック

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