「ひとを雇わないんですか。」
という質問に対していま考えていることを書いていこうかと。。。
「ひとを雇おうかな。」と考えることはある
「ひとを雇わないんですか。。。」
といった質問を折に触れて受けることがあったりします。
このような質問をされたときに、
「全く雇うことを考えないのか。」といえば、ひとを雇った世界を想像することもあるものです。
たとえば「事務所にはひとを受け入れるスペースはあるんだよなぁ。」といったことや、
「ひとを雇えば、ひとりでいるよりも視野が広がるのかもしれない。。。」という考えが頭に過ることもあるといえます。
また「ひとを雇ってこそだよ。。。」などという話を聞くと「そういうものなのかもなぁ。」と考えることもあります。
だからか「ひとを雇って一緒に働く。」ということを体験したい気持ちというのも少しはあるといえます。
その世界も体験してみたいなぁと。
なので「ひとを雇う魅力。」については、折に触れて考えることがあるものです。
やりたくない仕事に飽きるのはきっと誰もが共通
「ひとを雇うとどのような効果があるのか。」といえば、
「仕事の一部を任せてじぶんはよりコアな仕事を行なう。」ということなのでしょう。
なので、ひとを雇うと「じぶんのやりたいことができる時間が増える。」といえるのかもしれません。
また、じぶんとは異なったアプローチからの仕事のやり方を学べることもあるかもしれません。
とはいっても「コアな仕事。」ができていないのであれば、その仕事以外をやめていくほうがスッキリもするでしょう。
「じぶんがやりたくない仕事を雇ったひとにやってもらう。」というのも不思議な感覚ですよね。
だったら、その仕事を受けない方がお客さまに対しても誠実に対応できていると思うのです。
そして「じぶんがやりたくない仕事を振っている。」などということをしていると、雇われたひともこう感じる日が来るでしょう。
「わたしもこんな仕事はやりたくない。。。」と。
すると、じぶん自身がやりたくない仕事を依頼するためにひとを雇っていると、
「ひとは定着しない。」といえるでしょうし、そのひとにも申し訳ないと感じてしまいます。
ひとを雇う器を持っていないことが楽しい
「雇ったひとのことを気遣う。」などと考えている時点で気にしすぎなのかもしれません。
ただ、雇われた側も「ひと」なので意思を持って動いているものですよね。
「わりと自分勝手に判断するほうだよね。。。」
などと言われることが多かったので「意思を持つ。」というのは大切なこと感じています。
そうすると「ひとを雇おうかなぁ。」といっただけの、
「曖昧な感覚の間にはひとを雇う。」ということはしないほうがいいのかなぁと。
「曖昧な気持ちのまま雇う。」ということをしていると、そのひとにも失礼にあたるでしょうし。
せめてひとを雇うのであれば「これを一緒にやっていきたいから。」といった明確な目標が必要だといえるでしょう。
なので「ひとを雇う」という器を持っていない間には「雇う」ということをしてはいけないのかもしれません。
ひとを雇わない状態であるいまの方が「やりたいこと。」もできますし、
視界がいつも外に向いているので「視野が広がる。」ということも感じたりするものです。
少なくともこのようなことを考えている間は、
「ひとを雇う器ではない。」と考えて、雇ってはいけない側の人間としてひとりを楽しんでいこうかなぁと。
まとめ
「とりあえずひとを雇う。」
そのひとにも失礼でしょうし、楽しくもなさそうだよなぁと。
【おわりに】
今日は、ひさびさに新宿周辺に車で行ったのですがパトカーを何台もみました。
都心は神奈川県と比べて道もわかりくいですし、車で行くのはやっぱり控えようと。。。
【一日一新】
Netflix メイドの手帖