「このひとは勉強でがんばった。」
というひとが名誉市民などに選ばれない気がするのは、マッチョイズムの表れなのかもしれないというお話を。。。
表彰されるスポーツ選手
オリンピック、ワールドカップ、ボクシングタイトルマッチ。
嫌いではないものです。
スポーツは目に止まれば見ますし、サッカーは好きすぎて観る目が日本チャンピオンくらい肥えているともいえるかもしれません。
「アーセナルが世界一だわぁ。」といったように。。。
なので、スポーツ選手が表彰されて名誉市民などの称号や国民栄誉賞を受賞していても、大きな嫌悪感を持たないとはいえます。
「マルティン・ウーデゴール選手のテクニックと視野はハンパないからサッカー栄誉賞受賞!」
などとロンドンのサッカーチーム、アーセナルのスター選手のプレイを観ていて感慨にふけったりもするものですから。
表彰されない勉強で結果を残したひと
「スポーツは何でもだいたいおもしろい。」と感じていても、違和感を覚えるのがスポーツ選手ばかり名誉的なものを表彰されているということ。
それこそ、全然知らないスポーツ選手だったとしても神奈川県民御用達のテレビ番組であるTVKニュースを見ていると、名誉的な受賞を受けているのを目にするといえます。
ただ「勉強をがんばりました。」というような表彰が目に止まることはあまりないよなぁと。
「きみが知らないだけで、学問に秀でたひとも結構表彰されているよ。」
といったこともあるのかもしれませんが、わたしの記憶にはないといえるかもしれません。
「数学コンテストで優勝したから名誉市民。」
「税についての作文でChatGPTには書けない飛んだ論文を書いたから市民栄誉賞。」
「円周率を日本人で一番暗記したから国民栄誉賞。」
などと勉強で結果を残したひとが表彰されているのをあまりにも目にしていないからか、具体例も思い浮かばないものです。。。
せいぜい「ノーベル賞を受賞した。」
というオリンピックの金メダルを取るよりも遥かに難しそうに思える事例くらいでしか、勉強で結果を残したひとが表彰されているのを記憶していないといえます。
それでもひとの記憶に残り続ける
「学問で秀でたひとが名誉市民になる。」といったことが少ないのは、世の中にはびこるマッチョイズムなのかもしれません。
「学生時代の国語のテストはずっと100点だった。」というよりも、
「親が金持ちでどんな不祥事ももみ消してくれた。。。」というような謎のマッチョ感を誇ったほうが話のネタとしてはリアクションもよかったりするでしょう。
「ずっとオール4の卒なくハイレベルでこなすひと。」というよりも、
「学校には行っていなかったけどスポーツのほんのひとつのジャンルをがんばったひと。」というようなエピソードが溢れる感がするのもマッチョイズムの表れなのかもしれません。
とはいっても「ずっとオール4のひと。」の活躍を覚えているひとは覚えているものです。
「あのひとは派手さで売らず、いつも安定感があり軸が太い。」というひとほど信頼感があるものですし、長期的なスパンでの存在感が増してくるといえます。
だからこそ、マッチョイズムの思考から脱却して、
「安定感のあるオール4を叩き出している」というひとをもっと信頼したほうが世の中も前進するんじゃないかなぁと。
「派手さ。」というのは、羨望の眼差しでみられることも多いかもしれませんが、嫌悪感を持つ人間というひとも少なくないものです。
そして、そのような嫌悪感を持つひとはサイレントマジョリティだったりもするかもしれません。
なので「勉強でがんばった。」ということが誰にも褒め称えられなくても、その道を進んでいってもいいものです。
まとめ
わかりやすいマッチョイズムのあるエピソードでなくてもいいんです。
わかりにくいから人生はおもしろいといえるものですから。
【おわりに】
時差の関係だったのか、パリオリンピックはどの種目もほとんど観ていなかったといえるかもしれません。
ただ、開会式と閉会式は観ました。
メタルヘッドとしてはひさびさのGojiraに結構感動したりと。。。
【一日一新】
天下一品 町田店