税理士になれば常識からはみ出すこともできるといえるかもしれません。
みんなと同じは心地いいものではない
「同じような格好をして、同じ時間を共有し、はみ出さない。」ということが小さな頃から求められているともいえるかもしれません。
同質性というのは、和が乱れないので心地よくもあるものなのでしょう。
そのような同質性を重視するからこそ、各部品のクオリティーが高いといったこともあったりするのかもしれません。
また、同じだからこそ「これがあたり前だから。。。」と小さくない壁をみんなで乗り越えられたりもするのかもしれません。
とはいっても「みんな同じ。」にこだわる必要はあるのかなぁと。
はみ出すと止められるかもしれないけど
「みんな同じだからこそ。。。」という考えはあまり得意でなかったりするといえます。
「サービス残業もみんなやってるし、いつか報われるからさっ。」と言われても、
そのいつかまで待つことも苦手ですし、みんながやっていることがじぶんもやる理由にならないと考えてしまうのです。
などということを明確に感じ始めてからは、
「組織に勤める。」といった適性がないことに徐々に気がつき始めたものでした。
「もう独立して社会と向き合おう。」と。。。
そのような考えを持ち始めて、不意にじぶんの考えを周りに吐露してしまうと否定されたりもするといえるかもしれません。
わたしの場合も「銀行をやめるなんてもったいないよ。。。」といったことを何人ものひとに言われたものでしたから。
税理士になって独立することを宣言していたので、
「いまから目指しても税理士になれるわけないじゃん。」などといったアドバイスを受けたりしたものでした。
ただ「はみ出そうとしている人間をやっかんでいるんでしょ。。。」と気にもとめることなかったものです。
はみ出せば常識を気にしなくなる
「なれるわけないじゃん。」といったアドバイスを気にもとめなかったからいまがあるという、わたしの人生。
税理士を目指したのも常識から抜け出すための手段だったといえますし、税理士になってからも王道を行くといった戦略はとってないといえるかもしれません。
ただ、だれかが決めた常識ではなくじぶんの感覚を研ぎ澄まして生きているので、日々にそれほど後悔を感じることがないのです。
「気持ちよく働き、気持ちよく遊ぶ。」といった人生を想像できないひとも少なくないといえるかもしれません。
「仕事をしない。」
「遊びをしない。」
ではなく「仕事も納得ができるほど取り組めて、遊びも満足できるほど実践できる。」というのが、独立して生きるということなのです。
そして、その大きな手助けとなっている税理士という資格。
なるまでも平坦な道ではないでしょうし、なったあともでこぼこした道というよりは道自体が見つからないかもしれません。
それでも、その資格を活かしながらじぶんが進みたい道をじぶんでつくっていくと、はみ出した日々が輝いていくと感じるものです。
まとめ
少なくとも税理士になったから常識からはみ出せるようになったといえます。
【おわりに】
常識からはみ出すためにローラー滑り台が有名だという「おだわら諏訪の原公園」に寄り道してみたりと。
ローラー滑り台はかなりの長距離で「お尻が痛すぎて燃えそうだし、もう断念したい。」と思いながら滑っていました。
そして、滑り終わったあとに「これはお尻直で滑るのではなくマットを敷いて滑るものなんだ。。。」と気がついたという。
すんごいズボンが汚れました。。。
【一日一新】
インサイド・ヘッド