「じぶんは仕事をやりすぎているかもしれない。」と感じたら、意志をもったお金の使い方ができているかを考えてみてもいいといえます。
損益分岐点だけは意識する
「やりたいことがある程度できて、人間関係に一切悩むことがない。」というのがいまの現状だといえます。
イライラすることはありませんし「強制されて仕事をしている。」といったストレスを感じずに生きている状態だといえるのです。
その秘訣のひとつは「妙な売上の拡大を狙っていないから。」だといえるかもしれません。
労働集約型の産業だからといってもひとを雇うことを考えていませんし、
「めちゃくちゃ付加価値をつけて世の中をコンサルする。」ということも考えていません。
「説明して。。。」と言われたら長時間説明をできるスキルを持っていると考えていたりするものですが、
それよりも「誰よりも聞き役に徹する。」ということやレスポンスのスピードを意識して仕事をしているといえます。
だからといっても、損益分岐点を無視して「好きを仕事に。」ということまでは考えていないものです。
貧すれば鈍する
事業を営むうえでは、損益分岐点を意識せずにガンガン行き過ぎてしまうひとにはブレーキ役となることを意識していたりもするものです。
そして、わたし自身も損益分岐点を無視した生き方をやらないようにしているといえます。
なぜなら「お金がある。」というのと、
「お金がない。」というのには、じぶんの選択の甘さもあると感じているから。
お金がないのであれば、どこを狙ってお金を得ていくか考えながら動くべきですし、
税理士業を軸に独立することをスタートに見据えたのもお金を稼ぐことを求めた結果だといえるものです。
なので、損益分岐点や必達売上のようなものを意識して事業を営んでいるといえます。
また、お金があると使い道の選択肢も増えていくので視野が広がっていくと感じられるものです。
必要な投資があれば惜しみなくできるのも損益分岐点を意識した売上をつくっているからですし、
「ちょっと試したい。」ができるのも精神の働きが鈍感にならない程度にお金を稼げているからだといえるかもしれません。
お金を意志を持って使えなくなったら仕事のやり過ぎ
ただ、損益分岐点や必達売上を達成していても、意志を持ったお金の使い方ができない状態ならそれは仕事のやりすぎかなぁと。
「時間がないから牛丼屋でさっとランチをすます。」
「ひとまず以前使っていたものと同じにする。」
「選ぶ暇もないから営業の言いなりになる。」というのは、意志を持ったお金の使い方ができていないので仕事のやり過ぎだといったサインだといえるかもしれません。
事業というのは、その業界があからさまな斜陽産業でなければ時間とともにある程度売上は増えていくものです。
それこそ、税理士業もそのひとつだといえるといえます。
「じぶんが気持ちよくお金を使えていなければ、仕事をやりすぎている。」といったサインだと考えていったほうがいいといえるかもしれません。
なので、損益分岐点を超えたあとの売上や仕事に使う時間は意識をしていったほうがいいといえます。
少なくとも事業を営んでいると「イケるところまで。。。」といった魔力に包まれていくからです。
だからこそ「損益分岐点を超えたら、心地よくお金を使えているか。」
といったことを自問自答していき、そこに違和感を持ったなら仕事をやりすぎているといえるものですし、軌道修正をしていったほうがいいかもしれません。
まとめ
意志を持ったお金を使えているかどうかかなぁと。
【おわりに】
週末の深夜にアーセナルの試合をリアルタイム観戦していたのですが、完敗しちゃいました。
「2024年初黒星。」というほど負けていなかったのですが、首位を明け渡し負傷者も出たようでリーグタイトルが取れなそうかもしれません。
いままで最高でも1試合で状況がひっくり返る世界は、ホントに厳しい世界だなぁと。
【一日一新】
ドラマ 花咲舞が黙ってない