「ノルマに追われる。。。」ということではなく、
ノルマはじぶんのためにじぶんだけが課してもいいものなんだろうなぁという話を書いていきます。
ひとに課されたノルマはつまらない
「ひとから課されたノルマに追われていた。。。」というのは、人生において新社会人として勤めた銀行員時代だけだったといえます。
そんな銀行員だった際には、融資実行金額や新規取引先獲得のノルマが毎月あったものでした。
それこそ、朝からのサービス残業ミーティングを行ないながらノルマの進捗状況も日々あったかもしれません。
(完全に余談ですが、銀行員時代にはスーパーカブに乗るのが日常だったのでヘアセットをほぼしていませんでした。どうせヘルメットを被るしなどと。。。)
ただ、そのような融資業務でのノルマはそれほど厳しくはなかったと感じていたものでした。
銀行員という特殊性もあり、訪問の頻度を上げていけば「融資案件獲得」となることも少なくなかったといえますし。
それでも、ひとから課された右肩上がりのノルマは好きではなかったなぁと。
ノルマをかわすことを意識していた
ただ、融資業務以外のノルマはほとんど無視をしていたといえます。。。
「投資信託を売って来い。。。」などというノルマを課されても、
「この支店で株式投資に一番詳しいのはじぶん。。。」などといった妙なテンションで、
「お客さまに毎月分配型の投資信託を売りつけるのは愚行ですよ。」などと上司に対して意見を言っていたかもしれません。
また「保険に入れ。。。」
「持株会には絶対に入れ。。。」
「業界紙を読まなければ出世しないから購読しろ(半年だけ契約して意味ないと感じ解約)。。。」などという、自爆行為のノルマも無視していたものでした。
たしかに、そのようなノルマに対して意見を言うよりも従っているほうが楽なのでしょう。
それこそ、早朝から20代の人間が50代の人間に意見を言うと「その場の空気感が凍りつく。。。」ということもあったものでした。
だからか「ちょっと変わったやつ。。。」だというように思われていたのかもしれません。
とはいっても、銀行員時代は人間関係に恵まれていたとも感じています。
自爆行為のノルマに対して「うんちく」を言っても、不当な扱いを受けることはありませんでしたし。。。
ノルマはじぶんがじぶん自身のために課すもの
だからか「ノルマ」と言われても、それほど嫌な思い出はなかったと感じているともいえます。
とはいっても、ノルマというのは「じぶんがじぶん自身のために課す。」ものだと思うのです。
たとえば「現状を変えたいなぁ。」といった感情から、
「税理士試験に挑戦して合格をする。」というノルマを課すことができたものでした。
また、税理士事務所へ勤めていた際にも、
「なるべくお客さまの資金繰りと税金の悩みを解消しよう。」などというノルマを課していたら、
独立にあたって「付いていくに決まってるでしょ。」などという温かい言葉を貰ったといえるかもしれません。
なので、ノルマというのは「じぶんの意思を貫くために使う言葉」なのかなぁと感じています。
独立後も「なるべく独立している状態を長くする。」というノルマを課しているから、動きやすくなっているといえるのかもしれません。
まとめ
『農協の闇』という本を読んでいて、ノルマについて思うところがあったので書いてみました。
【おわりに】
車を3台くらい置ける家に住んで、
「軽バンを買ってひとり自動車として改造したい。。。」という願望があったりします(ホンダのN-VANがいいなぁと)。
そんな話を「今月から軽バン女子になる!」という方と楽しく話していた、そんな1日でした。
【一日一新】
上大岡 ロイヤルホスト
ダイナシティ