「失敗した。」
「うまくいった。」などというのは、じぶんの考え方次第なんだろうなぁと。
失敗を深く考え過ぎないほうがいい
「やっちゃったよ。。。」
というように「ちょっと失敗をしたかも。」というようなことが、折に触れてあるよなぁと。
「ブログに誤字脱字がちらほらある。」
「YouTubeで言い間違いをしている。」
などということがあると「じぶんって抜けてるよなぁ。」と落ち込むこともあります。
「恥ずかしい思いをするくらいなら、もうやめたほうがいいのかなぁ。」と考えることも。
特に映像として残っているYouTubeでの言い間違いの場合には、
「なぜここで言い間違えるのか。」と自己嫌悪になることもあるものです。
このようなことでなくても、
「本気で勉強しているのに税理士試験の結果がうまくついてこない。」というようなこともあるでしょう。
ただ、失敗をしたことを深く考え過ぎると身動きが取れなくなるので、あまり考え過ぎないほうがいいんじゃないかなぁと。
何が成功で失敗かはじぶんだけが決めればいい
2021年10月からはじめたYouTube。
このYouTubeを撮っていると、
「もっと、ほんわかした雰囲気でしゃべりたいんだよなぁ。」ということを編集するたびに考えていたりします。
むかしから「声が大きい。」というようなこともあり、
「YouTubeでも声が大きく、ほんわかできてないなぁ(あまりEQをかけないようにしています)」と。
また、よく噛むなぁということも。
そのようなことを感じていたとしても「YouTube良かったよ。」というような声をかけてもらえると、
「そうなんだ。嬉しいなぁ。」
「もっと、いいと思ってもらえるように続けていこう。」とテンションも上がります。。。
なので、きっと「世の中には失敗や成功の定義はないんだろうなぁ。」と考えるほうがいいのでしょう。
「恥ずかしさが止まらない。」
ということは、真剣に挑んでいるからこそ感じるものではないでしょうか。
そして、少なくとも「そのときの全力。」を出せていれば、
「失敗ではないし、成功をしているかもしれない。」と考えていき、じぶんへの負担は小さくしたほうがいいといえます。
そして気分を変えてみる
成功をしても、失敗をしても「気分を変える。」ということは生きるために必要なことかなぁと。
「音楽を聴いて心を燃やす。」
「映画を観て視点を変える。」
「身体を動かして心を空っぽにする。」
というような、何かじぶんを変えるきっかけをつくっていったほうがいいといえます。
「ヘヴィメタルを聴きながら、ギターを鳴らす。」
という、じぶんなりの儀式をすることで「まあ、何とかなるよね。」と感じられることもあります。
真剣であればあるほど「好きだったこと。」を忘れていることもあるので、
「そういえば、あれ好きだったよなぁ。」ということをしてみるのもいいのかもしれません。
まとめ
「成功や失敗。」
生きていれば、いつもあることでしょう。
そんなときには、じぶんなりのスイッチの切替を見つけてみるといいのかなぁと。
【おわりに】
イギリスのコロナ感染が増えてきたからか、サッカーのプレミアリーグの中断の話がちらほら聞こえてきました。
なるべく中断せずに続けてほしいなぁと。
サッカーを観ることが人生のひとつの喜びになっているので。。。
【一日一新】
氷結 無糖レモン