誰かに合わせて生きていかなければならない、ということは大変ですよね。
なので、なるべく誰かに合わせなければならない状態からは、距離をおいたほうがいいです。
誰かに合わせて生きていても面白くない
学生から社会人になったときのギャップで、しんどいなぁと感じたことのひとつが、
「誰かに合わせなければいけない。」
ということでした。
学生時代には、じぶんの気持ちを尊重して自由に過ごしていたという感覚ってありますよね。
それが社会人になって、「組織の歯車だから、おまえの意見は必要ない。」といったことをいわれたときは、衝撃的な出来事でした。
そんな組織の歯車を感じたエピソードとしては、
「公式な始業時間は8時40分なのに、実際の出社時間は7時半が強制されている。」
ということに対して、意見を言えずそれに合わせないといけなかったという経験があります。
たしかに、このようなことも時間とともに慣れてきて、当たり前の風景にはなるのですが、
「やっぱりまともじゃないよなぁ。」といった気持ちは、勤めている間もなくなりませんでした(いまでも、おかしかったよねと思っています)。
組織の歯車だといわれても、ひとりの人間として意見を持っていますし、新社会人だったとしても既に年齢は20歳を過ぎている大人。
そのような意識もあり、公式のルール以外に真の裏ルールがあるという、「誰かに合わせろ。」といった生き方は辛いものでした。
この感覚がキッカケとなり、「将来はじぶんで商売をやって生きていこう。」ということを考えたのでいい経験だっとともいえますが。。。
独立をしていても誰かに合わせてしまうことはある
独立をしていて感じることは、じぶんで決められる自由があることです。
じぶんで全てを決められるからこそ、独立は楽しいことになっていると感じています。
じゃあ、独立をしたからといって「誰かに合わせるようなことはないか。」といわれると、ある程度はあるといえます。
じぶんなりには仕事の軸を定めていたはずなのに、
「なんとなく違和感がある仕事を、なんとなく相手の顔色を伺って受けてしまう。」
ということがあります。
たとえば、税理士業務としては「会計入力などの作業代行」は請け負っていないのですが、そのような仕事に困っている人を見ると、相手の顔色をみて受けてしまうということがあります。
世の中には、税理士業務のひとつである記帳代行といわれる業務のニーズが、一定数あるということは感じています。
とはいっても、限られたソースを活かすひとり事業者としては、「だれでもできる業務」は避けたいところです。
それにも関わらず、そのときの状況によって相手に合わせて受けてしまうということは、独立をしていてもあることだったりします。
じぶんが幸せになることから始めてみる
「人のことなんて気にするな。じぶんが何をやりたいのかを重視して生きていけばいい。」
このような言葉を聞くと、「たしかにそうだよなぁ。」とおもう反面、なかなか人の目を気にしないということは難しいと感じます。
始業時間の件にしても、公式な始業時間が8時40分だからといって、8時半に出社をするということは組織の目を気にして難しいことでした。
誰かに合わせる必要はないといっても、じぶんが思ってもみなかったことを提案されてやってみたら、意外に面白かったということも多かったりします。
なので、誰かに合わせて生きたからといって、必ず不幸になるということはないのでしょう。
とはいっても、人に合わせて生きているだけだと疲弊してしまうことも多いですよね。
疲弊しないように、じぶんが幸せになるということを基準に行動していってもいいのではと感じています。
「じぶんがやってみたい道だから、税理士になるために税理士試験の勉強をする。」
「時間を活かしたいから、ITを研究し活用していく。」
といったように、じぶんが幸せになれることから始めて、誰かに合わせるだけではない選択肢を見つけてみるのもいいのではないでしょうか。
まとめ
誰かに合わせすぎていると、じぶんが疲弊していってしまいます。
だからこそ、程よく人に合わせるか、人に合わせなくていいポジションにいくべきなのでしょう。
じぶんがやりたいことをやれるような生き方をしていく。
難しいことですが、そのような境遇に身を置けるようにするのはじぶん次第です。
独立をすると、そのポジションに近づいているといった感覚はあります。
【おわりに】
会計入力に関しても、クラウド会計とExcel、弥生会計の3つを使って連携させていく、
といったようなことをすれば手間は大幅に減らせるのですが、ひとりなのでそこに時間をかけたくないのです。
【一日一新】
オリジン弁当 幕の内塩麹焼き鮭