人を信頼できるかどうかの基準は、謝ることができるかどうか

大人になると、人から本気で怒られることも少なくなっていきますよね。

 

 

なるべく人を信頼して、生きていきたいと思っています。

その時の信頼が出来るかどうかの判断基準は、間違いがあった時にきちんと謝れるかどうかだと思います。

 

大きな組織や年齢が上がると、謝らなくなる

 

年齢が上がっていくと、子供の頃と違い周りに自分よりも年上の人が少なくなってきたりするので、怒られるということが少なくなっていきます。

また回りの人は、その人が間違っていることをしても、怒ったり指摘したりしてくれることもなく、構ってもくれず、ほっとかれる状態になるということがあります。

怒られることがなくなったからといって、決して人間的に成長をしているということではないと、自覚をして行動をするべきだと思います。

誰にも怒られずとも自分自身が間違ったことをしているということが、あることかと思います。そういったときに年齢を理由として、謝らなくなるという人もいると思います。

大きな組織で、それなりのポジションにいるからといっても間違いは犯すものです。

この間違っていたことを気づいたときに、どうゆう行動をとれるかが大切になります。

 

喧嘩などの腕っぷしがある人の方が優しい

 

謝ることができるという人は、本気で生きてきた人という印象があります。

たとえば子供の頃から、周りの人間とぶつかり、時には喧嘩をする。どうすれば喧嘩に勝てるかを考えるからこそ、自分の地位を確立していく。

小さいころからこうゆうことをして生きた人は、自分が何をされたら嫌かを分かっているので、大人になればなるほど、人間としての角がとれ、品格がついていくように思います。

周りの人と衝突をした経験があるから、どうやったらその喧嘩に勝てるようになるのかを考え、トレーニングをして自分自身に自信がついているのだと思います。それとともに、何をされたら嫌なのかということを、潜在意識とてい認識をしていくのでしょう。

そういう場合の人ですと、人としての懐がとても広いので、人に対する態度もいい意味で腰が低く、人当たりがいい印象があります。

また、そういった人は滅多に人を馬鹿にするような態度をとらないです。

小さいころから逃げていたり、本気になっている人を卑下していたような人とは、別の次元にいるように感じます。

だからといって、そういった出来た人の周りにいる人が、人間的にできているということではないということを肝に銘じるべきです。

それは、その人が優しいだけなので、たとえそういう出来た人ばかり付き合っていても、その周りにいる人の品格なるものが高くなっているわけではありません。

 

自分に自信のない人ほど、態度が大柄

 

人の中には、非常に大柄な人がいます。

そういった人は、仕事をするにしても、仕事を流れ作業としてこなし、思考も停止していて作業ばかりで、本当の仕事をしている印象が感じられません。

作業というのは、与えられたことを最低限にやっているだけで、自ら考えて行動をするという仕事ではありません。

そういった、作業しかしない人に対して、その周りの人が逐一指摘をして、その人の成長を促すようなことをしてくれるかというと、そうではありません。

なぜなら、まわりの人も忙しく、そうした人を成長させようなんて考えないからです。

人はある程度の年齢になりますと、ある程度のことが出来て当たり前という認識になりますので、教えてもらえるということが少なくなります。

なので、大柄な態度をとる人というのは、こういったことに気づかず、割と平気で上から目線で人に接する傾向があります。

また、自らが間違いを犯したときにも、謝るということをすることが少ないです。

 

本気で生きているからこそ間違える

 

人は本気で生きているからこそ、前例のないことにどんどんチャレンジをしていきますし、時には失敗をします。

また、チャレンジをしているからこそ、失敗をする頻度も、平凡に過ごしている人よりも多いのかもしれません。

その失敗をした時に、どういう行動をとれるかが、その人を信頼できるかどうかの分岐点であると思います。

失敗や間違えた時にまず一言、申し訳ありませんと謝り、次の行動に移せるか。

それとも、その失敗をなかったことにして、その事態から逃げて、時間が経ち周りが忘れるまでほとぼりが冷めるまで逃げるか。

ほとぼりが冷めたと本人が思っていても、案外、人は忘れていないものです。

信頼できる人というのは、失敗や間違いあった時に、すぐに言葉として謝ることが出来る人だと思います。

年齢がいくつになっても、間違いや失敗は、誤りとして認めて、真摯に謝罪をする。その後、その誤りを改善していく行動に移す。

本気で生きれば生きるほど、失敗は多くなるのでその時は、素直に謝ればいいのです。

信頼できる人かどうかの基準はここにあると、私は思います。

 

【おわりに】

ひと月に1,000kmほど車の運転をします。

運転はいつまでたっても怖さが消えません。特に首都高を走っていると、事故を起こしている車を頻繁に見ます。

人はミスを犯す。車に関しては、自動運転の復旧で事故が限りなくなくなるような、日が来てほしいです。

 

【一日一新】

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