「なんでそんなことをやっているの。。。」というひとからの言葉がじぶんを強くする感もあったりするといえます。

なんでブログなんて書いてるの
日々の習慣として人生とともにあるブログ。
「なんでブログなんて書いてるの。。。」といった質問を受けたりもするといえるかもしれません。
好意的な「なんでそんなに毎日書けるの。」というニュアンスもあれば、
「いまさらやったって(ウケる的な)。」などというニュアンスがひとによって含まれていると感じたりもするのです。
などという「なんでそんなことやってるの。。。」という言葉に含まれる様々なニュアンス。
じぶんが磨かれていくような感覚がある言葉だといえます。
少数派だから「なんで」を受ける
「なんでブログを。。。」
「なんでYouTubeを。。。」
「なんで独立を。。。」といった言葉たち。
おそらく、おこなっているひとが少ないから言われたりもするのでしょう。
「ブログ、YouTube、独立にはスーパーサイヤ人がいる。」などといっても、やっていないひとがほとんど。
ましてや「なんでやってるの。。。」と質問を受けるということは、気になってもらっている証だともいえるものです。
そんな「気になる。」というのは、少数派だという証拠。
いい意味で「ひとの道に外れている。」といった存在になれているということなのかなぁと。
じぶん主導で生きる
「独立してひとりで事業を営んでいる。」というのも、ひとの道に外れているといえる行為。
多くのひとが組織に属している状態からすると、不思議な存在だったりもするのかもしれません。
だからか、行動していることのひとつひとつに「なんで。。。」という言葉を受けたりもするのでしょう。
そんな「なんで。。。」と言われる行為には、深い意味はないものです。
ブログやYouTubeなども、
「続けられる体質だし、続けていることで仕事につながっている。」といった感覚があるからおこなえているだけなのです。
独立して生きることも、
「もはや組織には戻れそうにないから。」という感覚があるので、ちょっとだけ力を入れてこの状態を維持できるようにしているだけだともいえます。
とはいっても「なんでこんなことをやらなきゃならないんだよ。。。」という、
じぶんが行動する理由に「なんで。」と疑問を持ちながら嫌々おこなっているものは独立以後ないものです。
「やりたいから始めるし、続けたいから続ける。」といった、完全なじぶん主導でほとんどのことをおこなえているといえます。
また「なんで、あのひとはこんなことをしているんだろう。。。」という思考もなくなったものです。
じぶんがやりたいことができている割合が増えていけばいくほど、他人の行動に対して「なんで。。。」とも感じなくなるからかもしれません。
なので「なんでそんなことを。。。」と言われる行動をじぶん主導でおこない、他人に対して不感になる。
ここを目指しているので「なんでそんなことを。。。」と言われるのかもしれません。
そして「なんでそんなことを。。。」と言われるたびに、ひとつの壁を超えて身勝手の極意に近づけるような感覚を持っているといえます。
まとめ
「なんでそんなことを。。。」という言葉をかけられるのは注目されているということかもしれません。
【おわりに】
Nintendo Switch2の抽選に落選したので、申込資格のあるサイトでひたすら抽選に申し込んでいたりと。
発売日に買えなさそうな悲壮感があります。。
【一日一新】
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