「こうすべきっしょ。」といったべき論は苦手かなぁと。。。
ふわっとしたべき論が苦手
「やらないとカッコ悪いっしょ。」
「未来の子どもたちのためにいま動くべき。」
「税理士なんだから。。。」といったようなふわっとしたべき論たち。
気を抜いてしまうとこのような「べき論まみれ。」の状況にも追いやられてしまったりするのです。
「ブログなんかやめるべき。」といったような。。。
ただ、あまりべき論は好きではないかなぁと。
それこそ、ひとに会っているなかで「べき論。」のようなものを熱く論じられてしまうと、
「トイレに行くふりして帰ろ。。。」と、その場から立ち去ってしまったりもしているかもしれません。
「べき論を言うけど、それホントにじぶんでやったうえでの言葉なの。。。」などといった思いを抱きながら。。。
やっていることはすべて手探り
独立してじぶんで事業を営んでいても「これをやるべき。」などと自信を持って言えることはないものです。
たとえば「お客さまに見つけてもらう。」といった営業。
「ネットからの依頼を。。。」ということで発信を意識しているなかで「発信してきたからこの出会いがあった。」ということはあったりするものです。
ただ「あの発信がわかりやすくて。。。」などと言われても、
「一度スポットの相談をしてきただけで、顧問税理士かのように何度も質問をしてくる。」といったこともあったりするといえます。
また、紹介を受ける場合でも「このひとなに。。。」といったことを感じてしまう場合もありますが、
「この紹介は素敵な出会いだったなぁ。」ということもあったりするのです。
だからか「営業はネットだけ。」といったことも「リアルだけ。」といったべき論も、そのどちらも違うんじゃないかなぁと。
正解は変わっていく
などというように、営業ひとつにしても「どれがマッチするのか、わからないよなぁ。」と感じていたりもします。
税理士業でも、紹介がきっかけで長い付き合いとなっている方もいますし、ネットの発信を見て取引をしたけど「もうこのひととは。。。」といったこともあったりするのです。
たしかに「ネットの発信からの引き」というのは、じぶんの打ち出し方の悪さもあったりするのでしょう。
そして、マッチする方に出会える確率を上げるために「鍛錬を続けながらじぶんを出す。」ということが必要だといえるかもしれません。
だからか「絶対にこうすべきだ。」という「べき論」に違和感を持ってしまうのです。
少なくともやってみないとわからないですし、やっているなかでも正解が変わり続けていくといったことは少なくないものです。
また、スタートした時期によっても環境といったものが変わってくるといえます。
なので、少なくともじぶんでチャレンジしながらそれを楽しんで、いい感じの居場所を探し続けることが大切なんじゃないかなぁと。
だれかの「こうすべき論。」は、じぶんの意思ではないでしょうから。
まとめ
「べき論。」をどんどん無視していっちゃいましょう。
【おわりに】
黒いカラーの車に乗っているのですが、真夏の暑さはやばいです。。。
DIYしているドラレコの両面テープが熱にやられて何度も剥がれてくるという。
【一日一新】
chocoZAP沼津