「スマホやPCのモニター見過ぎてるなぁ。」と感じたら、美術館に訪れてみるのもいいかもしれません。
近いところを眺めていると世界は掴めるかもしれない
「ひたすら近いところばかり眺めている。」といったことを感じたりもするといえます。
「MacBookのモニターを何時間眺めているんだろう。。。」といったように。
ただ、PCやスマホのモニターを眺めていると「世界を掌握した感」を持ってしまうものだといえるかもしれません。
「マンションの高層階への相続課税が強化されるんだ。。。」
「EVに必要なバッテリーは、リン酸鉄リチウムが主流になりつつあるのに日本メーカーは三元系リチウムだから巻き返しが難しいと言われているのか。。。」
「アーセナルはデクラン・ライスを獲得するために1億ポンドも支払えるんだ。。。」
といったことは、PCモニターを眺めていないと知り得ない情報だといえますし、これらの情報を知ることによって海馬が強化されていく感を味わえるといえるものです。
感覚が鋭くなる美術館
「PCモニターを眺めているから専門知識も身についていく。」とはいえるものかもしれません。
とはいっても、世界というのはPCモニターだけで掌握できるものではないでしょう。
だからか「知ったつもりにならない。」とするためにも、外の世界に行くことを意識していたりするといえます。
先日も「これは視野が広がるし、感覚も鋭くなるわぁ。」と銀座にあるアートアクアリウム美術館GINZAで感じたものでした。
展示されているのは、幻想的にライトアップされた金魚たち。
海外の方々のインバウンドも感じましたが、平日の日中だからかそれほどひとが映り込むことなく写真撮り放題の金魚たち。
幻想的な展示技術と時の流れを気にせず、ゆっくりと泳ぐ金魚の姿に、
「頭をもっと柔らかくしなきゃだなぁ。。。」と自然の力に包まれる感覚をもったものでした。
言語化できない体験も必要
たしかに、PCやスマホのモニターを眺めていたほうが「いち早く流行を追える。」といえるのかもしれません。
そして、いち早くその情報を横流ししたほうがバズりやすいともいえるかもしれません。
とはいっても、手っ取り早さを求めないアートや自然に触れていると「人間らしさが引き出されていく。」とも感じるものです。
先日訪れた千葉県にあるホキ美術館でも、
「やっぱりアートは写実じゃなきゃ。。。」などと受けた衝撃がいまでも心に焼き付いているといえます。
それこそ、税理士業を営んでいると、
「なんでも言語化して伝える。」といったことは求められがちだといえますし、それが存在意義のひとつだも感じているものです。
ただ、すべてのことを言語化できなくてもいいんじゃないかなぁと。
アートに触れていると「あぁ、言葉よりも感覚が大切なんだろうなぁ。」と細胞が求めている感を味わったりもするといえます。
だからか「美術館に訪れる。」というのは、意識的にしてみてもいいのかもしれません。
「行ったことのない場所に旅に行く。」となると、事前準備にもそこそこの手間を要してしまうものだといえるものです。
それとは反対に、美術館などは「その日の予定を見てふらっと立ち寄れる。」といえるもの。
なので「PCモニターの前にいると世界を掌握できる。」と感じ過ぎたら、
「言葉にできないことを体験する。」と考えて美術館に訪れてみると、世界なんか掌握しなくてもいいと学べるかもしれません。
まとめ
スマホやPCのモニターから離れて、感覚を研ぎ澄ますといいこともあるのかなぁと。
【おわりに】
株式投資の話で、TOB成立後に上場廃止となった株式を買い取られた際の譲渡益の申告漏れが少なくないかもというニュース。
独立してから数回このような相談を受けて、
「確定申告しなければならないっす。。。」と伝えたら驚かれたりしたなぁなどと。。。
【一日一新】
だんドーン