あまり人生100年時代と構えなくなったのは独立の効果

「人生100年時代だから未来に備えなきゃ。」ということを独立してからは考え過ぎなくなったかなぁと。


今年のたまプラーザ駅はイルミネーションが控えめ。


人生100年時代だからか歳を取るまでの時間も長いのかも


「人生100年時代。」などという言葉は、何となくネガティブな意味を持っているようにも聞こえたりするといえます。

「人生100年時代だから定年後をどうしよう。。。」などというに。

ただ、生きる時間が長くなっているからか若さが保たれている時間も長くなっているともいえるかもしれません。

たとえば、

  • 学生時代から好きだったヘヴィメタルをいまでも聴いている
  • ドーハの悲劇から観ていたサッカーをドーハの歓喜となったいまでも好きで観ている
  • 学生時代から変わらず漫画雑誌のモーニングとビッグコミックスピリッツを読んでいる(この数年はヤングマガジンも)
  • ギターを高校生の頃から弾き続けている

などといったようなことを、若かったといえる学生時代のころと変わらず続けているのは、歳を取るまでの時間が長くなっているからなのでしょう。

なので、人生100年時代だといっても将来のことを心配しすぎるよりも若い時間を楽しんだほうがいいのかもなぁと。



未来に生きることもあるだろうけど


「人生100年時代。」などというと、

「人生のどの期間でメリットを享受しようかな。」といったことも考えるかもしれません。

「FIREするためにお金を貯めて老後を楽しもう。」といったことや、

「定年後に人生の楽しみを取っておく。」などというように、いまよりも未来に目を向けるということはあるものでしょう。

そんな「人生においては我慢のとき。」という期間もあったりするものかもしれません。

たとえば、税理士資格を取るまでは、

税理士試験の直前期にあるサッカーのワールドカップやヨーロッパ選手権などをどこか冷めた目で観ていたものでした。

「サッカーなんてまた観ることができるから、いまは勉強しなきゃ。。。」などというように。

たしかに、その「我慢のとき。」というものを過ごしたから独立して生きる期間を人生のなかで過ごせているといえます。

だからといっても未来のためだけに生き過ぎていると、そのいまに対する記憶が薄くなっているとも感じるのです。


人生100年時代と構えなくなった


独立して生きるようになったからか、

「未来のために。。。」といったことをあまり考えなくなったといえます。

それこそ「人生100年時代だからいまを耐え忍んで。。。」という感覚もなくなったものです。

結局のところ、人生というのはいまが楽しくなければ未来も楽しくないとおもうのです。

たしかに「税理士試験などのように未来のために少しいまを我慢する。」という期間もあったりするものかもしれません。

ただ、未来に目を向けすぎていると「長く生きるから将来が心配だ。。。」と必要ないことまで考えすぎてしまう場合もあるものでしょう。

だからか「人生100年時代」などという言葉は禁句にしてもいいんじゃないかなぁと。

いまは独立して日々をやりきれていると感じているからか、

「未来のために1分1秒でも長く生きたい。。。」とも考えなくなったといえます。

それは、いまの人生は「じぶんにとって100点満点だ。」と感じられるようになったので、

「100歳までどう生きるか。」というよりも「いまをどう生きるか。」と考えられるようになったからかもしれません。

きっと、人生が100年続いたとしても未来を気にしすぎずに、いまを丁寧に生きることが大切なのかなぁと最近は考えています。


まとめ


あんまり「人生100年時代」などと構えて生きなくてもいいのかもしれません。


【おわりに】

サッカードイツ代表のリュディガー選手の走り方が非難されていますが、あのような走り方を普段からしてるんだよなぁと。

足が早すぎるんですよね。プレミアリーグ最速を記録してましたし。。。


【一日一新】

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