ゲームは何かの役には立たないものでしょうが、だからこそ価値があるのかもなぁと。
ためになることを学ぶのが人生なのかもしれないけど
「ここに税制改正があったはず。」
「この税額控除を使うと法人税の負担が低くなるはず。」
「このガジェットを使えば、仕事がさらに効率化されるはず。」
などと「いま必要な知識を吸収すること。」にかなりの時間を日々使っているとものです。
そして「どこを工夫すれば時短になるか。」といったように効率化にも神経を尖らせているともいえます。
それによってMacBookでも難なく税理士業が行えるようになりましたし、ペーパーレスにも方向性の舵を切れたといえるものです。
とはいっても「生きる」というところまで時短や成長などを求めなくてもいいかなぁと。
ゲームをやってもいまの役には立たない
「いま役に立つ。」というものを学んでいると、人生が開けていき生きる感覚も磨かれていくものかもしれません。
たとえば、ひたすら入門書を読むとするだけでも「いま得られるもの」は少なくないですし、手っ取り早く役に立つといえるものです。
「そういうことだったのかぁ。」と。。。
とはいっても「いま役に立つ。」というものだけを得ていくことが人生を豊かにするわけではないでしょう。
「ゲームをやる。」
というのも、いま役に立つということは稀でしょうが「役に立たないからこそ価値がある。」といえるものです。
- グランツーリスモをやっているとつかめる運転感覚
- マリオテニスをやってテニスのうまくなった感
- FIFAをやっているとつかめる実際のサッカーのレベル感
- みんなのゴルフをやってつかめる芝を読む力
- ドラクエでつかめる未知の世界への開拓力
などというように、ゲームの中でのスキルが上がっていったとしても、たしかにリアルの世界で実力が付くわけではないものだといえます。
なので「ゲームの世界で魔王を倒すくらいなら、筋トレをした方がマシ。」だと言いたくなる気持ちもわかるものです。
それでも「人生の役に立たないからゲームなんかやらないほうがいい。」というよりは、
「人生においてゲームくらいできる余裕を持ったほうがいい。」と心が豊かになるのかもなぁと。
いまの役に立たないからこそゲームには魅力がある
知識や経験を売るという商売を行なっていると、
「最新の情報を追う。」などというように、ためになることだけを探していく場面も少なくないといえます。
ただ、ためになることだけを追っていても「人生を振り返ったときには記憶にすら残っていない。」ということもあったりするものです。
そして、人生を振り返ったときに思い出すものは「ためになるとも考えずに熱中していたこと。」かもしれません。
- どの車でレースに出るか
- どのキャラクターを選択すると相手に勝ちやすいか
- アーセナルにハーランドを加入させたらどうなるか
- どのパーティーで旅に出るのが戦いやすいか
といったような、ゲームの中で考え抜いたことほど記憶にも残るものだといえます。
そんな、何かの役に立つわけではないのに考え抜いて答えを出さなければならないゲームほど、人生をつくっていくといえるかもしれません。
そのような記憶に残ることを増やしていくのにもゲームはおすすめなのかもなぁと。
まとめ
ゲームの価値は「ためになるかどうか。」を考えずに熱中できるところになるのでしょう。
【おわりに】
ポケットモンスターの新作スカーレットとバイオレット。
アルセウスをやっていた際に感じた改善して欲しい点(主に完全オープンワールド)がすべてクリアされていて、かなり楽しいです。
【一日一新】
ポケットモンスター スカーレット