「電車が動いていない。。。」という妻に対して、
「じゃあ、迎えに行くよ。」と言えるような心の余裕を持てるようになったのも独立したからだよなぁと。
電車が止まって大変はなくなった
「今朝の電車は正常に動いているかなぁ。」といった確認や、
「これから外出して打ち合わせがあるのに電車が止まってるじゃん。。。」
などというような「電車の事情に左右される。」といったことは、独立前には日常の風景ひとつとしてあったものだといえます。
それこそ「迂回してでも会社に遅刻するわけにはいかない。。。」などと、
「電車が遅延している絶望感。」で、忙しない朝を過ごしていたこともあったものでした。
だからか、いつも心に余裕はそれほどなかったなぁと。
とはいっても、独立後には「電車が止まってる。。。」といった経験をしたことがないといえます。
車移動は「止まる」という概念がなくなる
独立してからは「打ち合わせはZoomなどのオンライン。」などというように、オンラインでの打ち合わせがスタンダードになったといえます。
また、外出する際にも「移動は車。」ということを意識的に行なっています。
なので、電車に乗る機会はかなり少なくなったといえます。
たしかに「車の運転はハンドルを握ること以外に何もできないから、人生における最もムダな時間のひとつだ。」
と言われれば「そうかもしれない。。。」といったことを感じるものだったりします。
とはいっても「パブリックスペースの中をプライベートな空間を保ったまま移動できる。」という車の運転は、独立後における趣味のひとつになったといえます。
だからか「運転するのが好きだから。」といったような感覚もあり、車移動を中心にしているのです。
そして、車移動の場合には「渋滞」というものはあったりするものですが、
「目的地までの道はひとつではない。」ともいえるので、完全に足止めされることがない点も気に入っている部分だといえます。
電車が止まって帰れない妻を迎えに行けるだけの余裕が心にある
「電車が止まっている。。。」
ということは、わたし自身にはないものですが電車通勤をしている妻にはあったりするのです。
このブログを書いている今日も、妻が通勤に使っている電車がちょうど帰りの時間に止まってしまったものでした。
そんな際にも、独立前であれば「まぢかぁ。大変だね。。。」などと労いの言葉をかけるだけだったかもしれません。。。
それが「車で迎えに行こうか。」と自然に言えるようになったのも、
独立して心に過度なストレスを抱えることなく、日々を過ごせているからだといえます。
そして「キラキラした表参道や原宿を夜にドライブする。」といった機会を得ることもなかったかんだろうなぁと。
「じぶん自身は電車を利用しないので、電車の影響を受けることない独立後の世界。」
「独立したから心に余裕が生まれて家族の不測の事態にも対応できる。」というのも、独立を家族に感謝される場面だといえるかもしれません。
まとめ
迎えに行く中で感じたことを書いてみました。
【おわりに】
妻を表参道まで迎えに行くのに首都高を使ったのですが「行きは20分。帰りは1時間。」といった感じでした。
朝だと、この反対になる感じです。
【一日一新】
ファミリーマート 2種類のホットサンド(ツナチーズ&ベーコンエッグ)