親になると「人間的なつまらなさ。」みたいなものが、子供に対して出ちゃうんだよなぁと。。。
学校の変わらなさに違和感を抱くけど
「いまだにそんなことをやっているのかぁ。。。」
といったことを、25歳離れた娘(中学2年生)の学校での様子を聞いて感じることもあったりするよなぁと。
- 黒板を使って授業をしている
- 紙の教科書を使っている
- 紙にシャーペンで書く
- やたらとプリントが配られる
- 現金を持参させる
- クラスが固定されている
- みんなで同じ授業を受けている
- 先生がイケてな。。。
などというように、
「25年前にわたしが学校に通っていた頃と大きく体制が変わっていない。」ことに対して、ちょっとした衝撃を受けてしまうといえます。
「とにかく窮屈そうで、いまだに固定された世界で生きなければならないのかぁ」と。
また「コロナ禍に支給されたPC(Chromebook)をほとんど使っていない。」ということにも、モヤモヤするともいえます。
子どもに対してつまらない親になっている感覚がある
「国家を繁栄させるためには教育が基本となる。」
という言葉があるように「学生に何を学んで貰うか。」といったことは重要なのでしょう。
とはいっても、いまの学校での勉強などに対して、
「絶対にその勉強をやっておいたほうがいいよ。。。」などと、心から勧める気持ちになることは親になってもないといえます。
たしかに「四則計算や読み書き、社会の成り立ち」などを学ぶことは必要だといえるかもしれません。
それでも、学生時代に勉強したことは大学受験が終わってしまえば、ほとんど覚えていないといえるものです。
法律や会計、金融などの実社会のルールを学ぶ機会もありませんでしたし。。。
そのようなことを頭では理解していても、
「スマホばっかりやってないで、勉強しなよ。。。」といったことや、
「スプラ(スプラトゥーン3というNintendo Switchのゲーム)やりすぎだよ。。。」と娘に言ってしまうのです。
そして、そのような言葉を発したあとに、
「あぁ、じぶんもつまらない親になっているなぁ。。。」と感じてしまうかなぁと。
「子ども育てよう」と考えないほうがいいのかもしれない
それこそ「ひとには何を言っても、その本人が気付かなければ響かない。。。」ということを実感しているからこそ、
「従業員数での規模拡大を目指さないようにしている。」という事業方針を取っているといえます。
そして「ひとに何かを命令するような言葉。」を投げかけると、
「大概はうまくいかない。。。」ということも認識しているとはいえます。
とはいっても、じぶんの娘となってしまうと「わかっちゃいるけど、言ってしまう。」となってしまうのです。
たしかに、何なら学校に行かなくても、
「その時々のやってみたいことにチャレンジし続ければ、じぶんの中の何かが開眼するよ。」とは考えているとはいえます。
それでも「スマホ見すぎ。。。」などという言葉を娘に対して発してしまう、つまらない大人になっている感。
なので「子どもを育てる。」などと肩肘を張り過ぎないほうがいいのかもしれません。
ただ「じぶんの娘だからこそ言ってしまう。」ということも少なくないんだよなぁと。
まとめ
「つまらない親。」にならないようなチャレンジをしていきたいです。
【おわりに】
子供がいると「成長させてもらっている。」と感じる場面は少なくないかなぁと。
【一日一新】
あること