「ネットコンテンツの90%がAIよって生成されたものになる。」からこそ正解から外れるひとはチャンスなのかもしれない

「AIには出せない味を出す。」ということも必要なのかなぁと。


AIではないリアルな小田原城。


ネットコンテンツの90%がAIによって生成されたものになる


「ネット上のコンテンツの90%がAIによって生成されたものになる。」という時代が2026年までに来るとも言われている昨今。

たしかに、音楽を聴いていても、

「最近の音楽はみんなピッチ(音程)を外さないよなぁ。」といったことや、

「さすがにこのピッチは不自然だよね。。。」と感じる歌唱法も、AIでピッチが自然に補正されているから実現できているのかもしれません。

また「日本初のAIが描いた画集発売。」などというものを観てみても、

「人間とAIの差は素人にはわからない。」と感じるどころか「AIが描いているからなのか、すごいきれい。。。」と感じたりもするものです。

それこそ好きな「ヘヴィメタル」という音楽ジャンルにはある程度の決まった型があるので、

「AIが生成したヘヴィメタルの方が生身の人間がつくった曲よりもいい。。。」という時代も実は来ているのかもしれないなぁと。



AIがひとを超えるなら、正解だけではない活動が重要になる


「2029年には人間並みの知能を持つAIが現れて、2045年には人類の何億倍もの知能を持ったAIが登場する。」

などというように、シンギュラリティが起きて「ひとよりも優れているAI。」が登場するのは大きな流れとしてあるものなのでしょう。

それこそ、このブログもじぶんで時間をかけて書くよりも、

「文章構成力が高く、誤字脱字もない状態にできるAIに書いて貰ったほうがいい。。。」という時代も来るものかもしれません。

また、生身の税理士が答えるよりも「精度の高い答えが返ってくる税金の音声AI。」もそう遠くない時代に登場するといえるものです。

そして「正解」を求めるのであれば、人間はあらゆるジャンルでAIに太刀打ちできない日が来るのでしょう。

だからこそ「AIには正解かどうかが決められない活動。」が、人間には重要になってくるのかもしれません。


AIの正解から外れていこう


「正解」を求めれば求めるほど「AIのほうが人間よりも優れているといえる時代。」はもうすぐそこまで来ているのかもしれません。

ただ「全体が決めた正解。」という生き方をしないのであれば、AIに驚異を感じる必要もないのかなぁと。

たとえば「税理士業」をAIで定義するのであれば、

  • 税理士がブログをやるのは不正解
  • ブログで税金について書かないなんて不正解
  • 税理士なのに「とっておきの節税策」を発信しないのは不正解
  • YouTubeで冷凍室付きの冷蔵庫を買わなかった後悔を伝えるなんて不正解
  • YouTubeで著作権付きの楽曲をいきなり弾き始めるなんて不正解
  • 税理士なのに事務所業ではなくひとりで活動しているのは不正解
  • 税理士とヘヴィメタルは結びつかないから不正解

などというようにAI的には正解ではないけれど、たったひとりのじぶんにとっては必要だといえるものもあるものです。

なので「AIとしては不正解。」という答えにも、それほど慌てる必要もないかもしれません。

「全体の最適解を見つける。」のがAIだとしたら、

「全体から外れたポジショニングが気持ちいいひと。」であれば、AIは大切なパートナーにもなるものでしょう。

たとえば「ひとに仕事を振る。」ということがないひとり事業だと、AIにどんどん仕事を振ることができるというように。

すると、自然と選択する答えが少数派になるひとは、

「AIが驚異になる。」というよりは「AIがじぶんを拡張させる味方になる。」といえるのかもしれません。


まとめ


少数派としてAIではなく、じぶんで考えながら書くことも必要だよなぁと。


【おわりに】

今日は家族で小田原城に行ったのですが、天候の問題か道路も小田原城も空いていました。

帰りに好きだった元サッカー選手を家の近所で見かけて、テンションが上がるというサプライズも。。。


【一日一新】

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