じぶんのことを快く思われないなら、それはそれでいいんじゃないかなぁと。
すべてのひとに気に入られるのは無理
「楽しい独立ライフを快く思わない方がいるから、発信するのをやめる。」
というのも、ひとつの選択かもしれません。
ただ「出会うひと全員に気に入られる。」というようなことは考えなくてもいいのかなぁと。
たしかに「飲食店に入ればファンだと言われて、ご馳走してもらえる。」
「家電量販店で最新の家電を眺めていたらプレゼントしてもらえる。」というような、
「ひとに気に入られすぎて大変だ。。。」という人生を歩んでみたいとも思います。
「ずっとファンでした。。。」などと言われて生きるのも気持ちがいいものなのかもしれません。
とはいっても、そのような「出会う人が全員ファン状態。」というのはかなり難しいですよね。
ほとんどのひとは「じぶん」に対して、それほど興味がないものでしょうから。
なので「すべてのひとに気に入られる。」というよりは、
「たったひとりでも気に入ってくれるひとがいるのなら、めちゃくちゃ嬉しい。」という感覚で日々過ごしています。
あたりまえなことは異常なことかもしれない
独立してみると、
「それまで、あたりまえだと考えていたことがいかに異常なことだったか。」に気がつくといえます。
- 平日毎日満員電車で通勤する
- 相性の悪い同僚がいる
- 上司の悪口が酒の肴になる
- 多少体調が悪くても出社する
- 稼ぐ手段は残業代しかない
- その日やることがなくても仕事をしているフリをする
などということは勤めていると通常なことでしょう。
とはいっても、独立してみるとそのようなことは「わざわざやる必要もないこと。」だと気がつくものです。
それこそ「異常な場から逃れられてよかった。」というのが、独立をした率直な感想だといえます。
それでも独立して生きていくひとのほうが少数派になるので、
多くのひとは「じぶんが異常な状態にいる。」ということにも気が付かないでしょう。
そうであれば「異常な状態にいるひとの意見を気にしない。」ということのも大切な選択なのかもしれません。
誰かは誰でもない
「誰かのためになれたら嬉しい。」ということを考えながら発信をしているといえます。
ただ、何かをはじめたり続けていくうえでは、
「究極的にはじぶんのことしか考えない。」ということでもいいのかなぁと考えています。
たしかに「自分勝手に振る舞って他人を攻撃する。」ということはやってはいけないことでしょう。
とはいっても「誰か。」を気にしすぎると、何も行動に移せなくなるものです。
なので「行動したことで、快く思わないひとがいても仕方がない。」と考えてみるのもいいのかもしれません。
「じぶんが行動していることすべてが誰かに受け入れられる。」というのは、きっと無理なのでしょう。
誰かに快く思われなくても、心地よく思っているひとというのもきっといるはずかなぁと。
まとめ
「楽しい税理士ライフを書くと快く思わない方がいる。」という意見に悲しみを感じたので書いてみました。
【おわりに】
昨日(2022年3月16日)の地震で事務所の機材が多少傷ついてしまいました。。。
事務所はあまり地震対策をしていなかったので、改善していこうかなぁと。
【一日一新】
マーロウ 三軒茶屋店