ひとの言うことを素直に聞かなくていい

「素直にひとの意見を聞く。」

というようなことは、それほど必要ないかもなぁと。


たまプラーザ駅前。


素直だと得することも増えるのかもしれないけど


「あいつはひとの言うことを素直に聞くから伸びるよ。」という言葉。

たしかに「Wi-Fiルーターを再起動してみたら。」ということを素直に聞いたら、

「いままで繋がらなかったあるサーバーに簡単に繋がった。」ということもありますし、

「車の運転は目線が大切。」

などというアドバイスを教習所で聞いたときにも、なるほどなぁと思ったものでした。

このように「悩んでいたことを詳しい人に聞くことによって、すぐに解決された。」という場合もあるものです。

なので「ひとの言うことを素直に聞いてみる。」ということは必要だといえるかもしれません。

とはいっても「ひとの言うことを素直に聞く必要がそこまであるのかなぁ。」ということも考えてしまいます。



ひとの言うことを聞かないも大事


「ひとの言うことを素直に聞く方か。」

と聞かれれば、それほど素直に聞く方ではないかなぁと。

それこそ、じぶんの生き方を左右するような意見ほど「素直に聞く必要もない」といえるのではないでしょうか。

「銀行をやめないほうがいい。」

「税理士はもう食えないから独立しないほうがいい。」

「早く従業員を雇ったほうがいい。」

「そんなこと(ブログやYouTube)はやらないほうがいい。」

というような意見を素直に聞いていたら、いまの「楽しい。」は得られなかったでしょう。

なので、ひとの意見を素直に聞いてしまうと、じぶんの居場所がなくなってしまうとも感じています。

「ひとは善意で抑圧してくる。」

ということもあるので「素直に聞く」というよりは、

「一旦じぶんで考えてみてから、その意見を聞くかどうかを決定する。」というように生きていくほうが、じぶん自身は納得できるものです。


ひとの言うことを聞かないために「学ぶ」と「伝える」は必要


「ひとの言うことを素直に聞かない。」

という姿勢を貫くとしても、じぶんの頭の中だけで答えが生まれることは少ないといえます。

だからこそ「勉強はしておくべき」だといえるでしょう。

「考えていたら何かが降ってきた。」ということそれほど多くはないもの。

むしろ、常に勉強をしているからこそ「構想がみえる。」といえるのかもしれません。

その学ぶという勉強としても、

  • 読書をする
  • 「ひとまず」という感覚ではじめる
  • 場所を変える
  • 時間を変える
  • 会う人を変える

などというように、じぶんに合ったものを探していけばいいといえます。

そして「発信する場をつくる。」というのも「ひとの意見を聞かない」ためには必要なことです。

「じぶんの意見を伝える。」

という場を持つことができれば「これは聞くべき意見か、無視すべきか。」などといった判断もブレにくくなります。

なので、ひとの意見を素直に聞かないために「伝える場を持つ。」という姿勢も必要なことだといえるでしょう。


まとめ


「素直に意見を聞く奴。」

という相手にとって都合のいい人間にならないように、発信する場を持ってみましょう。

そうすれば、ひとの意見を素直に聞かなくてもいいといえるかもしれません。


【おわりに】

近々、親知らずを抜かなければならないのですが、そこそこ痛いのかよと。

ちょっと逃げたい。。。


【一日一新】

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