定年後という概念をなくすためにフリーランスとして働く。
こちらの方が、いまの世の中に合っているのではないでしょうか。
定年という概念は、ひとりひとり異なるもの
人生が何年になるのということは、人それぞれでしょう。
ただ、多くの人は定年を迎えたあとも、数十年生きることが見込まれています。
その定年後に、働かないで数十年も生きていくことができるかどうかは、お金の不安も当然ありますよね。
しかしそれ以上に、働かないとなるとその何十年に何かやることがあるのでしょうか。
わたしは、暇さえあれば読書をしたり調べ物をしたり、ひとの話しを聞いたりをしています。
それらは、趣味というよりも「専門家として求められるレベルに達したいから。」です。
求められるレベルになるために、修行をする。
それがまだ意欲があるにも関わらず、強制的に修行をやめさせられるのはとても辛いことです。
特に、「そのやめ時を年齢で強制的に区切られることは、合わないことです。」
わたしが修行をやめるのは、
「もう世の中の流れについていけなくなったとき。」
「修行をすることがつまらなくなったから。」
だと思います。
「そのとき」は、年齢で何歳だからという括りでは決まらないと感じます。
60歳になったから、65歳になったから、「定年でさあ働くことは終わり」というのは、違和感が強いことです。
もっと早い年齢でじぶんのなかでの定年となるのか。
100歳になってもまだ修行をする価値を見出しているのかは、ひとによって違うものだと思います。
やりたいことを老後にとっておくことはできない
ステレオタイプのお話だと、
「やりたいことは定年まで取っておいて、現役時代はとにかく会社にぶら下がる。」
という話しがあります。
このような話しを聞くと、30代にやりたいと思っていることを60代まで取っておいたとして、60代でそれをやりたいとおもえるのかということです。
わたしの場合、「まずないだろうなぁと。」
10代でやりたかったことですら、30代でやりたいと思っていないのに。。。
60代でそれほど楽しいと思ってできるのでしょうか。
定年後まで楽しいことを待っていても、「いまのじぶん。」とは大きく変わっているはずです。
それを定年後までに待つというのは、無理があることですよね。
どう生きるのかを決められる生き方をしよう
いまは、「いつでも、どこでも働けるようになっています。」
そして、待つという必要性はかつてよりも少なくなっています。
会社にぶら下がるのではなく、じぶんのレベルを高めて稼いでいく。
働くことを主体的に考えていく。
いつまで働いて、いつ働くのをやめるのか。
ではなく、
ずっと働いているけど、その働くことによって、仕事も人生もレベルアップしていく生き方の方が、時間を有意義に過ごせるはずです。
【おわりに】
プレミアリーグがない週末だと思っていたら、FAカップの週なのですね。
イギリスの状態は心配ですが、なんとかサッカーが観れている状態はありがたいです。
【一日一新】
天馬 半熟卵カレーパン