文章などを「読む。」ことができるから、じぶんの幅が広がっていくと感じています。
読むことがじぶんの幅を広げている
「動画コンテンツと比べて文章はオワコンだよ。。。」などと言われても、
「読むことができるからじぶんの幅が広がっている。」と日々感じているといえます。
「結局、観るよりも読むほうが時間効率はいいんだよね。」と。
なので、本や新聞、雑誌、ブログなどを日々読むことが習慣にひとつになっています。
なかでも「本を読む」ということは、人生の幅を広げる最強の武器なんじゃないかなぁと。
たとえば、1,500円の本を2時間かけて読むと、
「1,500円とじぶんの時間単価がムダになる。。。」ということを感じる方もいるのかもしれません。
ただ、読んでみると「お、ねだん以上。」の体験を得られるものだといえるのです。
それこそ、いまこの場所にいるのも「読むこと。」ができるようになったからだといえます。
20歳までは「全く。」読書をしませんでしたが、ナニワ金融道の青木雄二さんの本を手始めに、
「読書ってこれほどまでにじぶんを強化するものなのか。」ということを感じたものでした。
その読書の習慣が身についたからこそ、銀行員や税理士を経由して独立した人生を歩めているともいえます。
「読む」際にムダになるかもは考えない
「読む」というときに考えることのひとつが、
「これを読んでも時間がムダになるだけかもしれない。。。」といったことかもしれません。
たしかに「せっかくお金を支払うんだから、得られるものは最大限習得したい。」と考える気持ちもわかるものです。
とはいっても「読むものすべてがじぶんのためになる。」などということは考えなくてもいいんじゃないかなぁと。
それこそ、200ページの本を読んで「1字1句にときめく。」などということは、それほど多くはないといえるかもしれません。
それでも読むことで「この1文が心に残り続けている。」ということはあったりするものです。
そんな1文を見つけるだけでも「人生の幅が広がる。」といえるのではないでしょうか。
「そういう考え方もあるのか。」と。
たとえば「文章を読めるやつは国民の2割くらいしかいない。」
などという1文も「なんかしっくり来るなぁ。」と、じぶんのなかに残り続けている言葉だったりします。
「書く」をすると、さらに読みたくなる
「読む。」ということに慣れたら、
「書く。」ことをするのも「じぶんの経験を広げる」といえるかもしれません。
文章を書いてみると、
「なかなか文章をうまく書けないなぁ。。。」という挫折感というものもたしかにあったりするものです。
それでも、書き続けてみると「書く楽しさ。」といったことと共に「読む楽しさ」もより増していくものだといえます。
「なんでこのひとの文章はいつも温かいんだろう。」といったことや、
「このひとの文章はおしゃれだよなぁ。」などというように読む目線も「じぶんが書く。」といった目線で感じられるようにもなったりするものです。
そして、じぶんが書いている文章をひとりでも読んでいてくれるだけでも、
「もっといい文章が書けるようにがんばろ。」と、さらに読む習慣が加速していくといえるかもしれません。
まとめ
人生のハイライトのひとつは「読む」習慣が身についたことだと感じています。
【おわりに】
ストレンジャー・シングスをシリーズ4まで観終わりました。
正直「絶対観たほうがいい。」とまでは感じませんでしたがおもしろかったです。
次は待ちに待った『リラックマと遊園地』を観ていこうかなぁと。
【一日一新】
天ぶっかけ 切麦や 甚六