「指示を待って動く。」というよりは、
「間違えてもいいからじぶんで判断する。」という方が気持ちはいいかなぁと。
ひとに指示されるのは苦手
「結構、勝手にじぶんで判断するほうだよね。」といったことや、
「その判断は合っているけど、事前に相談して。。。」
などということを人生のいくつかのシーンで言われることもあったものでした。
たしかに「他人からの指示を絶対として動かなければならない。」という姿勢が必要な場面も少なくないものだといえます。
たとえば税理士試験は、
「暗記したものをベースに受験をしなさい。」という指示を破ってしまったら、
「一生税理士になれない。。。」ということもあり得るものでしょう。
実務ではカンニングや相談し放題にも関わらず。。。
とはいっても、決断ができる権力を持っているのは少数派となっているのが世の中の常識。
なので「ひとの指示に従わなければならない。」ということのほうが、圧倒的に多いといえるかもしれません。
じぶんで決められる快適さ
「仕事が終わっているのに帰れない苦痛。。。」といったことや、
「確定申告時期だから。。。」ということで強制されることもあった土曜出勤など。
このような指示は「組織として下に付いている以上は避けられないことだった。」といえます。
また、指示に従うからこそ「社会人としての生活基盤ができる。」ということもあったといえます。
とはいっても「上司の指示がないとこの場では決められません。。。」
ということを無意識に繰り返していくと「選択する。」というコマンドを見つけられなくなってしまうものです。
「何でもいいから決めてよ。」というような言葉を使うことは、なるべくなら避けていきたいなぁと。
そして、独立して誰からの指示もない状態に身を置いてみると感じるのです。
「ひとに指示されないってこれほどまで快適なのかぁ」と。
「不意にヘヴィメタルを流して仕事をし始める。。。」という人間が周りにいたらかなりの迷惑でしょうが、
じぶんで決められる場にいると「そんなことを気にする必要もない。」といえます。
「じぶんで決められる快適さ。」
この体験をより身近にできているので、レベルアップも早くなっていると感じるのかもしれません。
じぶんで決められるから気持ちよく迷うことができる
「決められる立場にいると迷うでしょ。」といったことや、
「迷いたくないから指示を待つ立場の方が気楽に過ごせる。」と考えることもあるでしょう。
たしかに「この場合はどうすれば正解なんだ。。。」と迷うことも少なくないといえます。
とはいっても「迷えるだけ迷う。」というのも気持ちがいいものです。
「この仕事を受けるかどうしようか。。。」
「別会社をつくってもらうか、部門別会計にするか。。。」
「事務所に掃除機を買うか。それともクイックルワイパーでやり過ごすか。。。」
「ランチに肉を食べるか、濃厚豚骨ラーメンを食べるか。。。」
などということも「迷えるだけ迷いながら決められる」ので、結果にも後悔が少なくなるといえます。
「ひとの指示を受けずにじぶんで決められる快適さ。」
そして「気を使わずにじぶんの意見を100%選択できる。」のは、ひとり事業だからこそだよなぁと。
まとめ
じぶんで判断すれば、過程も結果も楽しくなるものです。
【おわりに】
今日は午前中にYouTubeの編集をしてアップしようとしたら、
「音声が不調で使えない動画になっている。」ということに気が付きました(いつものと趣向を変えてスライドを使いOBSで撮ったら残業音がひどくて)。。。
明日、内容を変えて撮り直すかなぁと。。。
午後は家族と出掛けました。
【一日一新】
から好し 特盛りから揚げ定食