「よく続けることができますね。」
と言われることもありますが「続けよう。」というよりは、「楽しいなぁ」と思っているから続くのかなぁと。
ヘヴィメタルを聴き続けているのは楽しいから
「多くのひとに拒否される音楽。ヘヴィメタル。」
このヘヴィメタルを「一生聴き続けよう。」などと考えて、聴いているという感覚はありません。
「じゃあ、なぜ聴き続けているのか。」
といえば「これほど楽しい音楽はないから。」と感じているからです。
たとえば、このブログで「いちばんPVが低いジャンルの記事は何か。」と聞かれれば、
「ヘヴィメタルを紹介している記事。」だということになっています。。。
たしかに、PVだけを追うのであれば税理士らしく、
「資金調達や税金関係、そして独立をした感想。」などを書いていたほうが受け入れられるんだなぁと感じることもあります。
とはいっても「こんなにヘヴィメタルが好きだから伝えたい。」
「こんなにヘヴィメタルが好きだから聴き続けたい。」ということが、生きる原動力のひとつになっています。
「朝からのサービス残業にキレずに、社会人らしく振る舞えたのは、ヘヴィメタルを聴いていたから。」
「理不尽なお局や働かない所長税理士にも、多少の穏やかさを保てたのは、ヘヴィメタルを聴いていたから。」
というようにヘヴィメタルに救われたことも多かったといえます。
「心の拠り所があるというのは幸せだよなぁ」と、これからもヘヴィメタルを聴き続けるかなぁと。
ブログを書き続けるのは楽しいから
おそらく、600日以上毎日書き続けているこのブログ。
「なんで書いているの。」と聞かれれば、
「少しでもじぶんのことを知ってもらいたい。」と考えているからだといえます。
とはいっても「今日も書き続けなきゃ。」といった義務感はあまりありません。
たしかに、夜の22時頃からまっさらな状態から書きはじめる日などは、
「やばい今日中に更新できないかも。」
というような、毎日更新へのプレッシャーというものを感じることもあります。
また「毎日書くのはめっちゃ楽しいけど、かなりしんどい。」と感じることもないとはいえません。
それでも「書き続けていくと、ちょっとずつ世界が広がってく。」ということが書くモチベーションだといえます。
「よく毎日書き続けられるね。」
といったことを言われることも多いですが、
「毎日書いているから楽しさが増していく。」といえるよなぁと。
つまらなくなったらやめればいい
「続けようと思って続ける。」
ということも多くありますが、
「楽しくなくなったらやめる。」ということは、いつも考えているといえます。
たとえば「ひとりこそが世界最強。」だという感覚を持っていますが、
「チームこそが最高だよなぁ。」と感じることがあったら、ひとりをやめることもあるだろうなぁと。
また「未来は何が起きるかわからない。」というようなことは常に考えています。
「やめる意義ということを感じた際には、すぐにやめよう」と。
とはいっても「楽しくない。」と感じたことは、わりとすぐにやめているので続いていることは楽しいものだといえるのかなぁと。
まとめ
「絶対に続けよう。」と構えてはじめるよりは、
「ひとまずはじめよう。」という感覚でいくほうが、楽しくなることも多いといえるかもしれません。
そして「つまらなかったらやめる。」ということも大切なんだろうなぁと。
【おわりに】
「若いひとには頑張ってほしい。」という言葉。
やっぱり違和感があるよなぁと。
それを言うのは権力を持った「若くないひと。」なんですよね。
だったらその権力を持ったひとが自ら退くか、強制的に退出させなければだめでしょと。
サッカー日本代表の動けていないベテラン選手を観ていてそんなことを感じました。
【一日一新】
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