「そんなことはしないほうがいいよ。」などというようなひとの意見。
気にする必要はないでしょう。
ひとの意見を完全無視することは難しい
「銀行業ほどいい商売はないよ。」
というようなことを、税理士を目指すために税理士業界への転職を考えたときに言われたことがあったなぁと。
たしかに、銀行業というのは割のいい商売だといえるのでしょう。
とはいっても、
「じぶんの実力以外の部分で出世が決まる。」
という世界に身を置き続けることに嫌な感覚もありましたし、何よりも朝の残業というものに段々と耐えられなくなってしまいました。。。
ただ、税理士試験の難易度の高さに直面したときには、
「やっぱり転職をしないほうが良かったのかもしれない。」というようなことも考えたこともありました。
このように「銀行に居続けたほうが。。。」などというような、
「ひとの意見を完全無視して我が道を行く。」というのは、それほど簡単ではなかったりしますよね。
ひとは相手に対して言ったことは忘れてる
「そんなに仕事量があるなら、ひとりでやらないほうがいい。」
「いまどきブログやYouTubeなんて流行らない。」
などといったようなアドバイスも、ひとり事業をしていると受けることが少なくありません。
そして、このような言葉は、
「そこそこ強烈な言葉なのか、じぶんの頭から離れない。」ということもあります。
とはいっても同じひとから「あのブログの記事良かったよ。」 などというようなことを言われると、
「あれっ、この前は批判してきたはずなのに。。。」などというようなこともあったりします。
おそらく、ひとというのは、その言葉を発した時点で満足をして「以前言った言葉。」というのは忘れてしまうのでしょう。
たしかに、じぶんが発した言葉を常に一字一句覚えているということはわたしもありません。
なので「ひとから言われたこと。」というのは、それほど気にし続ける必要はないのかなぁと。
ひとを気にしすぎて発信をすると何も言えなくなる
発信などをしているときには、
「こんなこと書いて大丈夫かなぁ。」といったことや、
「あのひとにこれが見られたら恥ずかしい。」というようなことが頭によぎることもあります。
とはいっても、ひとというのは、それほどじぶんの行動なんて追っていないといえるでしょう。
このブログに関しても「じぶんが発信したところで、世の中的にはまったく見られていない。」
というようなことに気付けたので、
「ひとを気にしての発信。」ということはしなくていいと考えられるようになりました。
「世界中にいるだれかひとりに届いてくれればいいかなぁ」と。
じぶんがやりたいことをやろう
ひとりで事業者をしていて日々感じていることが、
「じぶんがやりたいことをすぐにできるというのは、こんなに気持ちいいことなのかぁ。」
というだったりします。
とはいっても、そのようなときにも「ひとの意見」というのは頭の中に残っていて気にしてしまうということもあります。
ただ、ひとが何気なく言ったような言葉を気にし続けても仕方がないのかなぁと。
「ひとに仕事を頼むのが苦手だからひとを雇わない。」
「紙を使うのが嫌だから画面サイズが大きいiPadを使う。」
「まだ会ったこともない誰かのために、少しでも役に立ってもらえればと情報発信をする。」
などということができているのは気持ちがいいものです。
「やりたいことができるポジションにいく。」
ということができれば、
「ひとの意見よりもじぶんの心の意見を聞く。」ということが迷いなくできるかなぁと。
そして、ひとり事業者であればその「じぶんの心の意見。」というのは聞きやすくなるといえます。
まとめ
「ひとの意見でじぶんの気持ちが揺らぐ。。。」
ということもあるかもしれません。
それでも「じぶんの心の意見。」を重視していくことを忘れないようにしたいなぁと。
【おわりに】
最近Amazonで本を買うと箱がちゃっちくなったからか、結構な確率でカバーなどがヨレヨレに折れ曲がっていたりします。
読む分には気にならないのですが、売るときにそれで査定が下がっているような気がするんですよね。
なんだかなぁと。
【一日一新】
文太朗(ラーメン屋)