という比較論を軸に書いていこうかなぁと。。。

比較がずるい
「フレッシュネスバーガーのシンプルなクラシックバーガーは640円で、モスバーガーの定番モスバーガーが470円であるのに対し、200円ほど高い。」といったような比較。
「比較になってなくない。。。」という悪意。
世の中には「貶めるための比較。」といったようなものが目についたりするといえます。
「きみは〇〇さんより仕事ができない」といったような。
フレッシュネスバーガーとモスバーガーの商品で比較をするなら、
「定番フレッシュネスバーガー540円と定番モスバーガー470円では、それほど金額に差がない。」としなければ違和感を持ったりするといえます。
「フレッシュネスバーガーのクラシックバーガーは、シンプルではなくプレミアムラインだよ。」と。
などというような、貶めるための比較を目にすると執筆者の性格の悪さを性格の悪いヘヴィ・メタル税理士は感じてしまうものです。
多くのことが比べようがない
比較は「それ比べようがないじゃん。」といったものも少なくないものです。
「サッカーを良く観ている。」と言うと、
「野球のほうがおもしろい。」「格闘技のほうがおもしろい。」などと言われたりもするものですが、だから何と。。。
「それは比較になるの。。。」と感じたりもするといえます。
「税理士はこうだけど、〇〇士は。。。」などというのも、それはどこが比較対象になることなのかと悪態をつきたくもなるものです。
「背が高いやつは態度がデカい。」などと小さいおじさんに言われるとこうも感じたりするといえます。
「ちっぽけな比較をしていないで牛乳飲めよ。。。」といったような。
そんな比較論には「貶めたい。」といったような悪気を感じるので、それほど意味をなさない議論じゃないかなぁと。
比較するくらいなら
事業を営んでいても「あのひとと比べて。。。」と比較をしたくなったりするものなのかもしれません。
「おまえはいいよなぁ。。。」
などと言われたりもした気がするので、比較して自己嫌悪に陥るのがひとは好きなのかもしれません。
とはいっても、多くの比較は前提条件が揃っていないものになっているといえます。
フレッシュネスバーガーとモスバーガーの比較も、
「フレッシュネスバーガーにネガティブキャンペーンをしてやろう。。。」といった悪意を感じたものでした。
ヘヴィ・メタル税理士とすれば、どちらも大好きなハンバーガーショップだといえますし、
「定番」商品のフレッシュネスバーガーとモスバーガーは、ほっぺたが落ちるおいしさで、マクドナルドジャンキーからしても羨ましさがあるハンバーガーなのです。
また、勝手に比較をして自己嫌悪に陥ってしまうのはもったいないといえます。
「どんな事業にも製品にも、必ず光る部分がある。」といえるので、光る部分だけを見て比較することになるので負け戦になってしまうからです。
なので、比較なんてしないほうがいいといえます。
「モスバーガーのほうがフレッシュネスバーガーよりもおいしい。」などというのは、そのときの思い出補正に過ぎないからです。
「勤めている税理士よりも独立している税理士のほうが輝いている。」といった比較も、未知の世界に対する憧れにすぎないといえます。
どっちも場面場面で輝いているものですし、上も下もないものです。
比較をするなら、全くの同じ条件でなければ、比較をしてもそれほど意味をなさないといえるでしょう。
そして「全くの同じ条件で比較する。」といったことは、できないんじゃないかなぁと。
まとめ
比較論には悪意があるものですし、一部だけみて比較をしても何も生み出さないどころか憎悪が生み出されるんじゃないかなぁと。
【おわりに】
参議院選挙の期日前投票に行った際に読売新聞の記者が出口調査をしていたのです。
「いい機会だから、ぼくも答えたい。」と、記者の方に近寄っていったらなぜだかスルーされたりと。。。
SLAYERのロックTシャツがいけなかったのかもしれない。。。
【一日一新】
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