ノイズがちょっとくらいあるほうが気持ちいい

「人生の時間にはノイズがあってこそだよなぁ。」というお話を。。。


ほどよいノイズ感@神楽坂。


ひとりだとノイズは入ってこない


「早く帰りたいから決裁おろしてくれないかな。」

「もう終わってるけど、職場の空気感を汲み取ってまだ終わってないことにしておこう。」

といったことを勤めていたときには感じていたものでした。

そんな世界と無縁でいられるのが、独立してひとりで事業を営むということ。

予定していた仕事が終われば、時間に関係なくその日は終業とすることができるものですし、

「ここは徹底的に調べたほうがいいかも。」と感じた際には時間を気にすることなく学ぶことができているといえます。

だからか、読書量は増えたといえますし、仕事を早く終わらせるためのガジェットにも好きなだけ投資をするようにしています。

PCなども「やっぱりMacBookだよね。。。」と、いろんな方のWindows PCを触るたびに感じたりもするものです。



ノイズはあっても


「時間をじぶん主導にできる。」というひとり事業者の状態になっても、さぼり過ぎてしまったら生産性どころではないものでしょう。

なので「なるべくノイズが入らないように集中する。」といったことも必要だといえるのかもしれません。

わたしの場合だと「電話は使ってないんで。。。」といったことはあらゆる場面で伝えて、なるべく電話を使わないようにしていたりするものです。

(紙の名刺も電話番号入りと電話番号なしをつくっているという。)

「あれだけ物申したのにあの生命保険会社は。。。」と感じたりもしながら。

とはいっても「スマホにスクリーンタイムをかける。」といったようなことはしないかなぁと。

たとえば、もはや読んでいるひとのほうが少数派ともいえる新聞というノイズの代表格。

「新聞を読むと悲しい事件に胸を締め付けられる。」

「じぶんの業界に必要ない情報ばかり載っている。」

「社会を後ろに戻そうとする圧力が気持ち悪い。」といったことは、たしかに感じたりもするといえます。

ただ、新聞を読んでいると直接的にはじぶんに関係ないノイズでも思考を深めると感じたりもするものです。

だからか、スマホやiPadで社説などを毎日何紙かを読み比べては、こういう論調もあるのかぁと心地いいノイズを感じ取っているといえます。


仕事中には好きなノイズを浴びていたい


「仕事中には音ほど余計なものはない。」といった考えもあったりするものでしょう。

ただ「音がないと集中できない。」というのがわたしの仕事スタイル。

その音も落ち着いた感じのヒーリング音楽というよりは、

「いい感じでうるさいノイジーな音楽。」といったもののほうが心も安らぐのです。。。

また「プロジェクターで動画を流しながら仕事をする。」といったことも好きだったりするといえます。

「動画こそ最大のノイズでしょ。」と感じたりもするかもしれませんが、

Netflixなども「プライベートの時間に観る。」とするよりは、仕事中に観たほうが視聴作品数も自然と増えて思考の網が広がっていくのです。

「こんな最高のワークライフミックスはないよなぁ。」と感じながら。。。

プロジェクターなどは、そこそこ大きな壁があれば「おうち映画館。」といったものを体験できる事業のベストパートナーだと感じられるかもしれません。

といったように「集中するためにノイズをシャットアウトする。」というよりも、ある程度ノイズもあったほうが思慮的な人間になれるかもです。


まとめ


あまり行ったことのない場所を訪れた際には、商店街を歩くというノイジーなこともしています。


【おわりに】

今日、たまねぎを千切りしていたらひさびさに指を切ってしまいました。。。

親指なのでダメージは少ないですが、料理のひとつの怖さだよなぁと。


【一日一新】

神楽坂駅

神楽坂饅頭

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