「きっと、わかってくれるはず。。。」などということは考えず、
「ひとや組織は変わらないからじぶんが変わる。」と考えたほうが生きやすくなるものです。
テレワークをしている人口はもとに戻った
「日本はコロナ禍を経ても何も変わらなかった。。。」と感じることがあったりするものでしょう。
ただ「コロナ前からテレワークをしていた労働者は全体の25%ほどで、コロナ禍を経ていまもテレワークをしている労働者は25%。」
などということがアメリカで報道されているように「日本だけではなく世の中はどの国でも変わらなかった。」ということを感じたりもするものです。
「なぜ変わらないのか。。。」といえば、周りの目が気になるからなのかもしれません。
たとえば、毎日出社や通学をする必要もないことがわかっているのに、
「みんなそうだから。。。」と忖度をするひとの方が評価されるのであれば出勤をせざるを得ないものですよね。
たとえ「テレワークで仕事は十分できるし、むしろテレワークのほうが仕事は捗る。」と感じていたとしても、
「変わらないほうがいい。」と考えたほうが面倒なことにはならないといえるでしょうし。
MacBookを使うことでもじぶんが変わる
「変わらないのは変わらないで仕方がない。」と考えてしまうこともあるものでしょう。
ただ「変わらないから。。。」と考えていても、年齢を重ねるという時間の経過とともにチャレンジ精神は失われてしまうものかもしれません。
たとえば「仕事のほとんどをMacBook Airで行なっている。」といえるいまの状態も、
「年齢を重ね過ぎていないからWindows PC以外にもチャレンジできた。」と感じています。
それこそ、MacBookをメインPCにしてからは「いきなり更新プログラムが発動し、しばらくPCが触れない。。。」といったことと縁がない領域に立てているといえます。
また「Windowsのフォントは気が萎えるよなぁ。。。」などという気づきを得ることもなかったでしょう。
さらには「MacBookのトラックパッドはまぢで速い。」などということは、Windows PCだけを使っている方からすると理解ができない世界かもしれません。
このようにPCひとつをとっても「変われるかどうか。」によって得られる経験はレベル違いだといえるものです。
おそらく、MacBookでなければ「PCを触っているという作業感。」から抜け出せずにブログを1,000日以上更新することもなかったかなぁと。
そして、変わることができるのが独立をするということ
そんな「変われる。」と感じるのが、独立して生きるということだといえるものです。
たとえば、独立してからは「忖度をして満員電車でも通勤をする。」などということはなくなったといえます。
それこそ「よくあれだけひとの顔が近くにある状態に耐えられていたよなぁ。」と満員電車で暴動が起きないことに不思議な感覚を抱くよなぁと。
いまも満員電車で通勤をしていたら疲弊してしまい発信もできないでしょうし、新しいことを学ぶ気力もおきないといえるかもしれません。
また、独立をすると忖度をする必要もなくなるといえます。
なぜなら、じぶんで考えずに誰かに忖度をしていたら「稼ぐ。」といったことができなくなるからです。
「じぶんで考えていい状態だから変わることができ、時間を稼ぐことができる。」
「変わることができるから失敗を恐れなくなり、経験値を稼ぐことができる。」
「仕事を選べる状態に変わるのでお金も稼ぐことができる。」などというように。。。
なので「変わりたい。」と感じたならば、変わらない組織やいまいる場所からは遠ざかったほうがいいかもしれません。
「変わりたい。」と認識してしまった時点で、もうその場所はじぶんの居場所ではないのでしょうから。
そして「じぶんでやることができる。」という独立は、その居場所になるかもしれません。
まとめ
じぶん自身がどんどん変わっていっちゃいましょう。
【おわりに】
身近に軽バン女子の方がいて、そのひとが軽バンをDIYで改造している様子が羨ましいなぁと感じた一日でした。
【一日一新】
ニトリのマットレス
やよい軒 ハンバーグとエビフライとから揚げの人気トリオ定食