「なぜ飽きることなく続けることができるんですか。」
という話があったので「飽きる。」ということについて書いていこうかなぁと。
どちらかと言えば飽きっぽい性格かもしれない
「ブログを900日以上毎日更新している。」といったことや、
「YouTubeを週イチ更新している。」といったことがあるので、
「続けられるひと。」と褒めていただくことがあったりするともいえます。
たしかに「トーナメント戦よりはリーグ戦の方を得意としている。」
というように「続けられる分野の方が得意かもしれない。。。」といったことを感じていたりするものです。
それこそ、このブログに関しても「負けたらおしまい。」というよりは、
「今日負けても次があるから。」と、リーグ戦のような感覚があるから楽しく続けられているといえます。
とはいっても「飽きてしまい続けられなくなってしまった。」ということも少なくないかなぁと。
たとえば、この数ヶ月でも次のようなことに飽きてしまったといえます。
- ルービック・キューブを1分以内に完成させるための取り組み飽きた
- TikTokの更新に飽きた
- ピアノの練習に飽きてしまった
- Kindle本を2冊書き終わったところで読み返すのに飽きて発売をやめた
- いくつかのマンガやドラマを最後まで見終わることなく飽きた
- 毎日化粧水と乳液を付けることに飽きた
などというように、
「飽きてしまい以前ほどの熱量を持てなくなってしまった。。。」ということも少なくなかったりするものです。
飽きたというのは、他に楽しいことが見つかったということ
飽きてしまったものには「極めるのに時間がかかりそう。。。」といった印象とともに、
「こっちのほうがやっぱり楽しいなぁ。」と感じる場面が少なくなかったりするものかもしれません。
たとえば、数ヶ月前に電子ピアノを買って日々の基礎練習とともに『Top Gun Anthem』の練習をしていたのです。
「ピアノとギターでTop Gunを弾いてYouTubeにアップしてみようかなぁ。」などと考えながら。。。
ただ「気がついたらギターのほうだけで『Top Gun Anthem』を弾いている。」ということが多かったのです。
「オクターブ奏法で弾いてみるのもおもしろいなぁ。」
「ドラムマシーンを使いテンポを上げてパンク風に弾くのもいいなぁ。」
「ソロギターで弾いてもおしゃれだよなぁ。」
などと、結局のところギターを弾く機会が以前よりも増えて「ピアノを弾くことがなくなってしてしまった。。。」ということになってしまったものでした。
なので「飽きた。」というのは、
「じぶんの興味が他のものに惹かれた。」と前向きに捉えるようにしてもいいんじゃないかなぁと。
飽きたときに意識していること
「飽きたら他のことをすればいい。。。」
とはいっても「飽きたくない。続けたい。」と考えることもあるかもしれません。
そんなときには「飽きる。」という状況をつくらないように仕組み化して、続けざるを得ない環境をつくっていくべきなのかなぁと。
たとえば、このブログの話を軸に飽きずに続けるために意識していることといえば、
- 曜日で書くテーマをわけている
- 1日のスケジュールのなかで時間を予め確保する(このブログのために90分は確保)
- 書く場所を決める(清書をするのは1億円座椅子に寄りかかることが多い)
- 書く時間帯を縛らない(1日のどこかの時間で書けばいい)
- タッチタイピングで書くだけではなく、音声入力も行なう(Googleドキュメントで)
- 日々更新されている他の税理士のかたのブログを読んで心を燃やす(常時10人ほど読んでいる)
- FastEver3にひたすらメモを取る(ひと言メモだけでも)
- Macを使う(ブログを書くことだけにMacBook Airを買ってもいいんじゃないかなぁと)
- ブログを通じて依頼をしてくれた方々の顔を思い浮かべる(テンションは上がる)
- キレートレモンを飲みながら書く(脳が活性化されるような)
- かっこつけて書くことをしない(ダサいと思われるくらいの感覚で書く)
などというように、じぶんにとって気持ちのいい仕組みをつくるようにしています。
そして「仕組み化。」できたものだけが、じぶんに合っていて飽きないものだといえるのかなぁと。
なので、積極的に「飽きるかも。。。」ということにチャレンジしていけば、じぶんに合っている飽きないものを見つけられるかもしれません。
まとめ
「飽きないものをいくつ見つけられるか。」が、人生なのかもなぁと。
【おわりに】
「マンガで飽きた。」といえば『進撃の巨人』かなぁと。
22巻まで読んで「こんな展開だったら嫌だなぁ。」と読み進めていたら、想定していた展開になってしまい熱が冷めてしまったという。。。
【一日一新】
コストコ バイカラークロワッサン