「じぶんの人生はじぶんで決める。」
というように人生の独裁者になることは大切だよなぁと。
決めないことに慣れていいのか
「よくわからないけど学校に行かなければならない。」
「なんだかわからないけど先輩に従わなければならない。」
「どうなるかわからないけど上司に服従しなければならない。」
などというように学校から会社まで、
「だれかの指示に従わなければならない。」ということは少なくなかったりしますよね。
そして、たとえ真っ当な意見だったとしても「従わなかったことによって嫌われる。」ということもあるものでしょう。
このような状態が子供の頃から大人になってもあたり前のように続いていくので、
「意思決定は誰かがしてくれるもの。。。」と無意識に考えることもあったりするものかもしれません。
とはいっても「人生の独裁者はじぶん。」と決めて動いていったほうが得るものも多くなるといえます。
独立は人生の独裁者になれる
「じぶんで決められる快感。」というのは、独立をしたことで得られた権利だと感じることも少なくないものです。
「働く時間を決められる逞しさ。」
「使いたいガジェットを決められる楽しさ。」
「波長の合うひととだけ付き合う喜び。」
などというものを独裁的に決められる独立は「これが本当の人生なんじゃないか。」と感じることも少なくないなぁと。
それこそ「じぶんで決められてないもどかしさ。」というのは、見えないストレスも少なくないと思うのです。
たとえば、勤めていたときには風邪をひくこともありましたし、夏には暑さからくる蕁麻疹になることも多かったといえます。
また、好きではない音楽が流れている職場で働くのも辛いものでした。。。
ただ、独立してからは快適な環境で生きているからか、一度も体調不良になっていません。
なので「独立という人生の独裁者になると体調も快調になる。」と感じることも増えたといえます。
「仕事が終わっているのに帰れない。。。」といったことや、
「じぶんの意見が反映されることはないから、言いたいことを言っても仕方がない。」
などと感じながら生きていくのは、気が付かないうちに多くのストレスを抱え込んでしまうものです。
もっと独裁的に生きていこう
「決められないことに慣れていく。」というのは、決められないストレスを無視しているだけでしょう。
「仕事が午前中で終わっているに帰ってはいけない窮屈感。」
「使っているツールのイケてなさを我慢して使い続けなければならない虚無感。」
「収入がそれほど多くはない虚脱感。」
などを生きているなかで感じていたとしても、その場に居続ける限りは主導権を握ることに限界があるものだといえます。
たしかに、独裁者になることなく従順に指示に従って生きていれば「安定した給与。」を貰って生活ができるといえるかもしれません。
ただ、決められないもどかしさは少なくないストレスを体が受けているものです。
「じぶんが人生の独裁者。」という立場を経験してみると、視野も広くなりストレスも少なくなるといえます。
だからこそ「もっと独裁的になる。」と意識して動いてみるのもいいものかもしれません。
まとめ
もっと独裁的になることを意識して生きていっていいんじゃないかなぁと。
【おわりに】
海外サッカーがオフシーズンのためサッカーを全然観れていないので、開幕が待ち遠しいなぁと。
【一日一新】
オリーブの丘 フリコのスキレット焼き