「YouTubeって台本を用意しているの。」
と聞かれたので、台本を用意しないほうが楽しく話せるという話を。
台本があったほうが淀みなく話せるのかもしれないけど
YouTubeや人前で話す際に、
「用意したフレーズを淀みなく話し続けたい。」などと考えることはあったりするものです。
それこそ「やっべ。あのことについて話さなかった。。。」ということがあると、少なくない後悔を帰り道で感じてしまうこともあるといえます。
「やっぱり、台本をきちんと用意して話したほうがいいのかもなぁ。」と。
たしかに「台本」という道標があったほうが話しやすいといえるのかもしれません。
それにもしかしたら、台本があったほうが「アカデミー賞ばりの迫真の言霊を伝えられる。」ということもあるのかもしれません。。。
とはいっても、台本があるほうが話しにくさを感じてしまうんだよなぁと。
話忘れがあっても台本なしのほうが楽しく話せる
いまの「話す仕事。」として多い機会がYouTubeの撮影だったりします。
そんなYouTubeは「話したいことがすべて話せたなぁ。」というよりは、
「ちょっと余計なことまで話しすぎているかな。話が長いかもなぁ。。。」などということを撮影するたびに感じるといえます。
だからか「台本を用意したほうが良いかも。」といったことが頭を過る場面もあったりします。
それでも、いまのYouTubeの撮影には「台本を用意する。」ということはないものです。
また「カメラには映らない場所にモニターを置いて、話したいことを随時確認する。」ということもしていません。
なぜかといえば「話すことを一字一句」まで決めてしまったら緊張してしまうんですよね。
それこそ「絶対にこれを言わなければ。。。」などと感じてしまうと焦ってしまい楽しくないのです。
そして「話す⇢撮影を止める⇢台本を見る⇢話す⇢そして編集でなんとかする。」というやりかたも、それほど好きなやり方だとはいえなんだよなぁと。
なので、YouTubeの撮影の際にはパワーポイントに1シートだけつくり、
「伝えたいキーワードだけを書いて、撮影する際にそれを一旦見てから話す。」というようにして、台本や編集も極力しないようにしています。
書いていると話す力が上がるのかも
それこそ「台本を用意しないでYouTubeの撮影をする。」
と決めているので「一晩中話していられる内容。」でYouTubeでは話すようにしています。
だからか「台本をつくってまで構えなくても話せる内容。」という土俵で取り組んでいるともいえます。
また、YouTubeで話す前にブログなどで書いている内容を「拡張して話す。」としているから台本を用意しなくても話せるのかもしれません。
このブログなどを日々書いていると「書く力」も身についていると感じることもありますが、
「書くだけではなく、考えを言語化する力。」も付いているような感覚があったりするものです。
なので「書く」ということを続けていくと「話しをする壁。」も低くなっていくのかもしれません。
すると「書く。」を続けていくと話すことに台本がいらなくなるのかもしれないなぁと。
まとめ
書く力を身に着けていくと「台本」がなくても話せるようになるのかもしれません。
【おわりに】
「YouTubeの終了画面でギターを弾いてみよう。」
と考えて何テイクか撮ってみたのですが、結局最初のテイクを使うことにしたという。。。
【一日一新】
YouTubeの撮影でギターを弾く