士業を目指したなら資格をしっかりとって、ひとが気にならないこっち側に来ちゃいましょうよと。

士業なら資格を取らなきゃ始まらない
税理士として独立することをひとまずの目標として始めた税理士試験の勉強。
税理士になるまでは、悶々としていたものです。
「意外に税理士試験は難しい。。。」
「資格を取らなきゃ、お客様に申し訳ない感がある。」
「じぶんで事業を営んでいない状態では、何を言っても空疎に感じる。」などと。
とはいっても、税理士になるのは難しかったといえます。
資格学校に通って本気で勉強していたのに、願書を出し忘れた年などは落ち込みましたし、こころはあの世に行きかけていました。。。
「まぢかぁ。まぢかぁ。まぢかぁ。。。」と自己嫌悪がひどかったものです。
「そんな税理士試験の合格率はどのくらいなのか。。。」
ということを体感的に伝えるのであれば、税理士試験の資格学校で最初に仲が良くなったひとたちで、税理士になったというひとを知らないくらいの難易度だといえるかもしれません。
ルートにこだわっても仕方がない
「税理士試験の受験仲間。」といったひとが実はほとんどいなかったのと、
基本的に予定がいつも詰まり気味に生きていたので、誰からも連絡が来ていないだけだともいえるのかもしれません。
ただ「税理士になる。」というようなことを決めたなら。
手段は選ばないほうがいいといえます。
とはいっても「ChatGPTやGeminiを税理士試験仕様にカスタマイズして、試験中にカンニングする。」という非合法の裏技は禁止でしょう。。。
合法の範囲内での手段を選ばないとしていくのがいいかなぁと。
受験に専念できる環境であれば、受験に専念をしたほうがいいといえるかもしれません。
ヘヴィな感じであれば、受ける科目を減らしていくことも、合格への確率を上げるためには必要だといえるかもしれません。
「有給を取りまくる。」といったこともありだといえるかもしれません。
「大学院に進学して、指導教授に魂を売って論文を書き上げる。」ということも選択肢に入れていいといえるかもしれません。
などというように、税理士になる手段は全方位で検討したほうがいいといえます。
わたしは「あぁ、このままだと税理士になれそうもないわぁ。」と修士論文への道も選択したものでした。
資格を取ればひとが気にならなくなる
税理士資格を取れなかったひとの人生は、楽しそうに見えなかったといえます。
「楽しそう。」は、ただの主観だといえるかもしれませんが、
「このひと楽しそうに生きているなぁ。。。」と感じたひとに出会ったことがないといえるかもしれません。
「税理士になれなかったことを卑屈に感じている。」と思ったものです。
たしかに、資格が取れなかったことをひきずるのは仕方がないといえるかもしれません。
なぜなら、資格を取ったひとはキラキラしているでしょうから。
それも資格を取ったひとは「自慢したくてキラキラ感を出している。」といった思考で生きているわけではなく。
じぶんの権利と義務をフル行使して生きているだけで、キラキラ感が零れ出ているだけなのです。
そんな「あいつよりも、じぶんのほうが。。。」と生きていくのはつらかったりするものでしょう。
「ホントはじぶんだって資格は取れたんだ。」と考えながら生きていくのは。。。
などというような「他人が気になる。」という人生から逃れるために資格は取ったほうがいいといえるものです。
「資格を取ったら人生バラ色で、年収は5,000万円を軽く超える」となれるかはわかりませんが、資格を取るとじぶんの人生に対する納得感は得られるものです。
納得感どころか、日々、やりたいことが溢れてくるので「じぶん主人公感」で生きていけるといえます。
そのような世界には「他人」など存在しないのです。
存在するのは「じぶんが何をしていきたいか。」といった完全にじぶんを主人公にして進んでいく人生だといえます。
まとめ
資格を取らなきゃ始まらないですし、資格をとってひとが気にならない人生を送っていきましょう。
【おわりに】
Netflixの「アドレセンス」というドラマ。
ただただ、凄かったです。
ドラマの内容もよかったのですが「んっ?」と気付いたあたりから止まらなかったという。
4話完結なので気になった方は、ぜひ。
【一日一新】
マクドナルド はるひ野店