「従業員がいたらなぁ。」
と考えることもありますが、その従業員をコストだと感じてしまうということを書いていきます。
従業員がいればできる仕事が増える可能性はある
「これをやっておいて。。。」
というように、事業を営んでいる場合には従業員がいることによって「できる仕事が増える。」ということはあるものでしょう。
「じぶんが移動中に別の仕事を事務所でやってもらえる。」
「コミュニケーションを取ることで、新しい発想が湧きビジネスチャンスが広がる。」
などというように「ひとが集まること」による力学によって、
事業領域というものが広がっていくということになるともいえます。
また「仕事というのは、分業にすることで生産性が上がる。」ともいわれるように、
従業員がそれぞれのポジションで得意な業務を行なうことで、
「より質が高いものが生まれる。」ということもあるかもしれません。
このような分業体制を実現にするために、仕事というのは従業員が必要になってくるのでしょう。
社員がいるのはコスト
「分業体制にすることにより仕事の質は上がる。」
本当にそうなのかなぁと。。。
「分業体制の一員としてアルバイトで働いていたときには、最小限の労力で時給を得ることだけを考える。」
「クレドやミッション、ビジョンなどと言われても、それほど組織への忠誠心もなく嫌々働く。」
などということは、少なくともあるものでした。
「こんな組織で働いていても、世の中なんかちっとも良くならないっしょ。」などと考えることもあったといえます。
ここまで暗い従業員というもの少ないのかもしれませんが、
従業員が働く際には、
「売上なんて気にせず、なるべく働く労力を少なくしてコスパよく給与を貰おう。」と考えるひとは少なくないといえますよね。
なので、従業員を雇うのはコストだといえるよなぁと。
だからこそ、ひとを雇うことには慎重になるべきだといえるのではないでしょうか。
ひとはモノではなく意思を持った人間
従業員を安易に雇うべきではないと考えている理由のひとつが、
「従業員というレッテル。」を貼ったとしても、そのひとは人間だからです。
その意思を持ったひとに対して、
「あのひとは使える。」
「あのひとはいまいちだ。」
などということを感じることも、発言するということも違うよなぁと。
組織というのは、上にいる人間よりも下にいる人間のほうが視野は広くなっている傾向があるといえるでしょう(組織の常識に毒されていない分)。
なので「あの上司が言っていることに対しては、建前で従っていればいい。」などということを考えるものなのです。
それにもかかわらず、じぶんが部下であった時代を忘れ、
「あのひとはなぁ。。。」
と言ってしまうのは、ひとをモノだと考えているからでしょう。
このように「意思を持った人間である従業員を雇い、尊重しながら働く。」というのも、心理的なコストになるよなぁと。
まとめ
「社員がいるのはコストじゃない。」
と本心でいえる経営者は、立派だなぁと。
とはいっても「コストだ。」と感じられるほうが、まともな人間なような気もしますけど。。。
【おわりに】
わたしがYouTubeをはじめることに前向きだった監督(娘)が、TikTokをやってみたことに対しては後ろ向きなんです。
エフェクトのセンスがキモいと。。。
【一日一新】
TikTokに動画をアップロード