「推し」というひとを見つけてリスペクトできるようになると、じぶんの人生が輝き出すというお話を。。。
推しには会えない
「人生の主人公はじぶんだから。」と肩を切って生きていても、ときにはじぶん以上の存在ともなる推し。
そんな推しに会って会話をするということは無理だったりするともいえるかもしれません。
「ヘヴィメタルが好きなヘヴィ・メタル税理士。」
と勝手に名乗っていても、ほとんどのメタルアーティストは観客席から眺めるのが精一杯で会って会話をしたことはないといえるのです。
「かっこいいなぁ。」と眺めるだけだといえます。
だからか唯一「会って会話をした。。。」というメタルアーティストとの数十秒の時間がいまでも脳裏に焼き付いているといえるのです。
大学生の頃にドイツのメタルバンドFair Warningを追いかけて名古屋までライヴを観終わった帰りに、
ヴォーカルのトミー・ハートさんが目の前に現れたのです。
すぐに声をかけてチケットにサインを貰い、
「You are the greatest singer in the world(っぽいこと).」と伝えたら親指を挙げて「Thanks.」と会話をできた瞬間が人生の中に刻まれているといえます。
その後もFair Warningを聴くたびに、あのシーンが思い浮かんでくるのです。
推しなんていないはあたりまえかもしれない
「推しのメタルバンドのヴォーカルから不意にサインを貰えた。」ということを思い出すだけで、鳥肌が立つ人生のひとつのシーン。
とはいっても「推し」がいたりするものでしょうか。
それも「同業」といえるようなある種のライバルといえるような関係で。
「いやいや、同業に尊敬できるひとなんていないし、じぶん以外は全員雑魚だよ。。。」とも感じるのであれば、その感覚が理解できないとはいえないものです。
わたしも「なんだよ。推しどころかリスペクトできる同業者すらいないじゃんかよ。。。」といった感覚になったりするからです。
「みんなお腹が出ていて美しくない。」などと妙なポイントでリスペクトができるかどうかを判断していたりするといえるかもしれません。
だからか、目に見えるご近所さんの範囲だけだと、
「推しどころか、骨太なヤツはいない。」などと途轍もない勘違いをしそうになる気持ちは理解できるといえます。
そして「じぶんを超える逸材はいないから。。。」と、ひとは横柄な人間になっていくんだろうなぁと。
推しを見つけてリスペクトできると人生は輝き出す
「見渡す限りライバルもいないし、推しなんて。。。」と感じていても、
広い世界を見渡すとライバルと呼ぶにはおこがましく感じる推しは「同業者」だったとしても見つけられるものです。
それも、コタツでぬくぬく温まりながら見つけることができるインターネットという世界でわりと簡単に。。。
そんな推しを見つけてひれ伏したとしても、
「その推しと会う。」というのは、かなりのハードルだといえるかもしれません。
会うよりもこっそり眺めているほうがが心地よかったりもするかもしれません。
とはいっても、会える機会がもしあるなら推しにも会ってみたほうがいいといえます。
「推し」だといっても、生身の人間なので「このときを逃したら。。。」ということがありえるからです。
そして、推しにリアルであってみると感覚は変わっていくといえます。
Fair Warningのトミー・ハートさんはいまでも胸が熱くなる推しのシンガーですし、
推し税理士の戸村涼子さんも「カリスマには近寄れないよ。。。」と感じていましたが、お会いすることで人生が輝き出したものです。
「ホントに目の前にいるし、やっぱこのひとはホンモノだ。」と。
なので、推しを見つけてリスペクトしているなら機会を逃さないようにしたほうがいいかなぁと。
「近寄りがたい。じぶんなんかが会っても。」とするよりも、人生の胸熱シーンとして刻まれていくものですから。
まとめ
推しを見つけたら遠い存在とするのではなく、出会える機会を見つけてみると人生が変わるかもしれません。
【おわりに】
神奈川県の横浜市民あるあるなのひとつかもしれませんが、
「あのロープウェイに乗りました?」とYOKOHAMA AIR CABINのことを聞かれるのです。
なので、今日乗ってみました。観光のひとつとして乗ってみるのはありだなぁと(片道1,000円)。
【一日一新】
肉のポール コーンコロッケ