「ギャンブルは負けたいひとが負けを楽しむためにやるもの。」
という真理をつく言葉から競馬などのギャンブルについて書いていきます。
競馬場に行くと迫力を感じる
大学時代に競馬に興じていた友人が身近にいたこともあり、何度か東京競馬場や新宿や渋谷の場外馬券場にも行っていたものでした。
また、社会人になってからは「1週間かけて競馬の予想をする。」ということはなくなりましたが、
コロナ前までは年に1、2度は仕事帰りに川崎競馬場や大井競馬場に行く機会があったものでした。
そんな競馬などのギャンブルも楽しいものだと感じています。
特に競馬は「デスメタルのブラストビートのような馬の走る音の迫力。」といったものや、
「馬の毛並みの美しさ。」といったものに対して、ひとつの芸術品だということを感じるものだといえます。
また、競走馬だけではなく騎手の方にも魅力があり、かつては武豊騎手や横山典弘騎手、ペリエ騎手などを信じて馬券を買っていたなぁと。
競馬で勝ち続けることは難しい
「競馬などのギャンブルで勝つ。」
ということは大きな喜びとなりますが、それほど「勝つということは簡単ではないものだった」と感じています。
また、勝ったレースのあとには気が大きくなり賭け金も増していき、
「結局は返り討ちに合う。」ということも少なくなかったといえます(むしろ、ほぼ返り討ちにあっていたかも)。。。
なので「ギャンブルは負けたいひとが、負けを楽しむためにやるもの。」という言葉は非常に腹落ちするなぁと。
「勝った場合には、いままでの負けをさらに取り返そう。」という気持ちになるものですし、
「負けた場合には、そろそろ運が向いてくるかもしれない。」などという感情にもなったりするのです。
そのようなことを感じていたので、社会人になってから競馬場に行く際には「複勝をメインに賭ける。」というスタイルになりました。
複勝だとそのレースで3着までに入る馬を当てればいいので、そこそこの割合で当たり馬券を得ることができます。
(複勝の場合には何頭の馬が走るかにもよりますが、当たる確率は15%から30%と言われている)
たしかに、複勝だと当たり馬券を得る確率も高く10レースほど賭けると、半分以上は当たり馬券を掴むことができるといえます(全レース当たることも)。
ただ「1レースを複勝だけに賭ける。」という気持ちの強さを持てないので、
「毎レース当たり馬券を得ているにも関わらず、金額的には負けている。」ということも少なくないものでした。。。
儲けを度返してでもじぶんに賭けるのはあり
「競馬場に行ってレースに賭ける楽しさ。」
といったものをいまでも感じることがありますが「日常的に競馬の予想をする」ということは、社会人になるにつれて自然となくなったものでした。
なので「負けを楽しむためにやるもの。」という機会に触れることが少なくなったといえます。
ただ「負け方を知っておく。」というようなことは、競馬などのギャンブルで得られたものだといえるかなぁと。
独立して事業を営んでいても「すべての勝負に勝つ。」といったことは難しいものです。
それこそ「負けることも多くなる。」というのも、独立の実態だといえるでしょう。
とはいっても、独立の場合には「負けの尺度」はじぶん自身で決めることができるので、
「負けというよりは、なんなら勝っている。」ということも少なくないものです。
競馬などのギャンブルで戦い方や負け方を学ぶことで、
「人生の多くの場面でチャレンジすることができる。」というようなこともあるような気がしています。
まとめ
HPに競馬に関する真面目な記事(競馬の当たり馬券の経費にハズレ馬券は含まれないのが税金面の現状)を書いてみたので、ブログでは競馬のおもひでを足掛かりに書いてみました。
【おわりに】
そんな競馬場にもコロナ禍になってからは行っていないなぁと。
マスクを長時間するのが得意ではないので避けているというのもありますし。。。
【一日一新】
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