「ネット発信をしている。」といってもリアルタイムの居場所を公開はしない

リアルタイムで居場所を発信するようなことは禁止事項にしているというお話を。。。


横浜に行くということも内緒@みなとみらい。


インターネット上での発信に恥じらいはない


「インターネット上で発信をする。」というときに、戸惑いや恥じらいなどの壁を感じたりするひともいるかもしれません。

「間違えたことを言ったらどうしよう。。。」よいったように。

たしかに、間違えたことを言うのはそこそこの問題になるかもしれませんが、それほど気にする必要はないものです。

なぜなら、そのネット発信が極端な煽り系でなければ多くのひとに見られることは稀ですし、間違っていることも誰も気が付かないといえるからです。

また、テキスト系の発信であれば直しちゃえるともいえます。

「誤字脱字も内容すらも書き換えられる。」といえるのです。

「YouTubeは難しいでしょ。。。」といえば、YouTubeはあとから修正するのは無理ですが、撮り直すこともできますし、あとで消し去ることもできるものです。

だからか、発信をおこなっていく過程で、

「一旦、ネット上にオープンにしてっみて、ホントにやらかしたら修正するのも消すのもあり。」と考えるようになり、ネット発信での恥じらいはなくなったといえます。



気にしないと神の世界を感じる


「修正も消去もできるからネット発信での恥じらいはなくなった。」

ということとともに、発信の回数を重ねるにあたって「恥ずかしいことを言ってこそ。」だとも考えるようになったといえます。

発信の回数を重ねたいなら「かっこよく。」といったような鎧を剥いでいかなければ、続けていくのは難しいからです。

このブログも「かっこよく魅せるために練り練って下書きを。。。」というよりも、タイトルを決めたあとは流れに身を任せているといえます。

YouTubeでも「台本を下書きして。」ということはせずに、タイトルだけ決めたらあとは流れに身を任せているだけだといえます。

などというのは「恥ずかしいことでも流れに身を任せて発信できるか。」という境地に来れるかどうかで、ネット発信の神の世界を感じられたからだといえるかもしれません。


居場所の共有はしないかも


「恥ずかしいことを。。。」といっても、

ネット発信をするにあたって乗り越えられない、というよりも乗り越える気がない内容のひとつが居場所をリアルタイムにちかいかたちで共有するということ。

「いまいる場所を発信する。」といったことだといえます。

「いま新宿で飲んでいます。」

「いま山形県の田舎にいます。」

「いま北海道の知床にいます。」というようなリアルタイムに近いかたちで居場所を共有するのは避けているのです。

なぜなら「家にいないことが判明して。。。」

「リアルにいる場所を強襲して。。。」といったことに対する懸念を持っているからです。

「多くのひとは居場所なんて興味ないよ。」とも言えるでしょうが、居場所の共有はわたしにとっての恐怖事項なので禁止事項だとしているといえます。

「どこどこに行ってきました。」ということは、

「いまここにいるよ。」というリアルタイムでなくても伝えられるものです。

それにリスク・リターンをじぶんなりの線引きをすることは、ネット発信においても必要かなぁと。

そんなリスク管理のひとつが「居場所をリアルタイムで明かさない。」ということだといえます。


まとめ


じぶんなりのネット発信禁止事項を決めてみるのもいいかもしれません。


【おわりに】

以前読んだエコノミストとして大人気の河野龍太郎さんの、

「グローバルインフレーションの深層」という書籍が「おもしろいけど難しい。。。」という印象だったのです(じぶんの理解力のなさにちょっとした絶望感を持ったりと)。

それは「読ませてなるものか。」というマニアックな書籍という趣旨だったようで。。。

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ただ、わりと最近発売された「日本経済の死角」という本は一般向けに書かれた書籍ということで、読み応えがありめちゃくちゃおもしろかったという。

「日本経済がスケールしていないのは、実は生産性は上がっているのに賃上げされていないから。」ということを資料を豊富に提示しながら丁寧に説明してくれている内容になっています。


【一日一新】

luna とろけるマンゴーラッシー

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